敦賀発電所(つるがはつでんしょ)は、福井県敦賀市明神町にある日本原子力発電の原子力発電所。1号機は日本最初の軽水炉で、商用炉として最初に発電を開始した同じ日本原子力発電の東海発電所に続く2番目の商用発電所である。2012年1月の時点で1号炉は世界で7番目に古かった。通称は「げんでん敦賀」。敦賀半島北部に位置する原子力発電所で、福井県で初めて開設された発電所でもある。また日本原子力研究開発機構の新型転換炉「ふげん」(廃炉)が敦賀発電所に隣接している。この他、敦賀発電所から20km圏内には、日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」や関西電力の美浜発電所も位置している。発電所施設は敦賀半島東側の浦底湾に面しており、発電所近くにはPR施設「敦賀原子力館」が設置されている。また敦賀発電所は、日本で唯一沸騰水型軽水炉と加圧水型軽水炉の形式が異なる2種類の原子炉を運用している発電所でもある。敦賀発電所で発電された電力は、関西・中部・北陸の各電力会社へ売電されている。日本原子力発電(以下「原電」)の発電所は当初、旧坂井郡川西町(現福井市)の三里浜地区に建設される予定であったが、地質上、発電所建設に向かないものとして川西町内での設置を断念し、敦賀半島で建設計画が進められた。3、4号機は、三菱重工業が世界で初めて開発する改良型加圧水型軽水炉が導入される予定。また、敦賀発電所で想定される地震の強さは800Gal、津波の高さは2.8m。各発電設備の売電割合は次の通り。日本最古の軽水炉と知られる敦賀1号炉は大阪万博の開会式の日に営業運転を開始し、万博会場へ初送電したことでも知られる。開会式のときには「原子力の灯がこの万博会場へ届いた」とアナウンスされ日本の原子力へのパイオニアとなった。これは日本とGEの技術者が万博へ原子力の灯を送りたいとの想いがあったとされる。初臨界を達成したのち、スクラムなどの様々な試験を行った後、1970年の3月10日午前12時より連続100時間全力試運転を行い、3月14日午前4時に営業運転の条件である100時間全出力運転の目標を達成、大阪万博に間に合わせる形でそのまま営業運転に入った。このとき、原発中の何人かの職員が中央制御室に集まり、目標達成したとき万歳三唱の後皆が涙を流したという。この後、また美浜発電所1号炉も追いかける形で8月に大阪万博へ電気を送った。8月8日に1万kw発電を行い、万博会場へ初の送電。このときも電光掲示板に「美浜発電所からの原子力の灯が会場に届いた」と表示、またアナウンスされ話題となっている。その後様々な試験を行い、11月に営業運転に入っている。なお敦賀、美浜両機とも、沸騰水型(敦賀)、加圧水型(美浜)とそれぞれ炉形式上の日本最古の軽水炉となっていたが、敦賀の1号機は2015年4月27日に廃炉された。敦賀発電所1、2号機の敷地内には破砕帯(古くもろい断層)が、少なくとも約160本存在する。また、活断層の浦底―柳ケ瀬山断層帯(浦底断層)が通っている。また、2号機の真下にある亀裂も活断層である可能性があり、原子力安全・保安院は調査を求めた。なお、国の原子力発電所の耐震設計指針によると、活断層の真上に重要設備の設置は認められていない。すなわち、この亀裂が活断層と確定すれば、2号機は廃炉とされる可能性がある。2012年後半から敦賀原発の敷地の地層を調査していた原子力規制委員会の専門家チームは12月1日、浦底断層について「非常に活動的」との見方でほぼ一致した。2012年12月10日、原子力規制委員会の専門家調査団が原子炉直下にある断層(破砕帯)を活断層の可能性が高いと判定した、。2013年5月15日、原子力規制委員会の専門家調査団は2号機直下にある断層(破砕帯)は「活断層である」と断定する評価報告書を正式にまとめた。2号機は廃炉に向かう可能性が濃厚となった。2015年4月27日、1号機が法的に正式に廃止の方針が発表された日本最古の商用炉である1号機は、本来、2009年12月に役割を終え廃炉にする予定であったが、3号機および4号機の設置が遅れたことから運転期間の延長が模索されてきた。日本原子力発電は、老朽化を踏まえた保守管理方針を策定した上で、運転の継続を経済産業省原子力安全・保安院に申請。2009年8月3日に申請が認められたことから、2016年までの延長運転に備えた準備が進められていた。しかし、情勢の変化などにより2015年4月27日に1号機は廃止となった。今後は廃炉に向けた準備措置や作業が行われる予定となっている。
出典:wikipedia
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