坑道戦(こうどうせん)とは、敵側の防御構造物の地下へトンネルを掘り進み、そこで支柱に放火して自重により崩壊させるか、または火薬・爆薬の使用によってそれを破壊する戦術である。金掘り攻めともいう。基本的には土木工事であり、目標とする場所までトンネルを掘り進む。目標の下へ到達すると大量の爆薬を運び込み、超巨大地雷として爆破することで敵の陣地や要塞を粉砕する。戦国期の日本においては、主として、城内の水の手を切ったり、廓を崩したり、坑道から突撃部隊を送り込む攻城法として用いられた。長所は敵の妨害を受けにくく破壊力が絶大であること、短所は目標到達までに時間がかかりすぎることである(他、掘削時の騒音や振動で気づかれる場合がある)。妨害された例としては、松山城合戦(1561年)があり、武田家の金山衆が当城の櫓2つを掘り崩すことに成功するも、上杉軍の反撃により、坑道内に水を流し込まれ、多くの坑夫を溺死させた上、鉄砲の一斉射によって多数が討ち取られている。これに対し、武田軍は坑夫に竹束(防弾盾)を使用させ、坑道作戦を再開し、水の手も切ることに成功している。また、山本勘助が地中に半分以上埋めた水瓶によって、水面の振動で金掘り衆が近づいていることを見破った逸話もある(『甲陽軍鑑』)。近代戦では敵側も妨害するために坑道を掘り、地中での爆破合戦になった事例も多い。時間がかかるため、数年に亘る長期戦となった事例も多く、第一次世界大戦では3年以上も掘り続けたことすらある。上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家兵法書を戦国風に改めた兵書)巻五「攻城・守城」の中の「攻城心鑑」に八つの謀(はかりごと)の一つとして、金掘(坑夫)を用いることが記されている。また、「城攻めの事」に、矢倉か将の居殿かを目当てに掘らせ、その土をもって土俵に用いるべしとあり、城近くを掘る時は城中の天井に響かないようにことをはかり、これには口伝があると記している。焼薬を3石、5石もその台に大小によって入れ置き、導火をさして焼き落とす。導火にも口伝があると記す。金掘をもって城へ通う道を作ることもあり、井戸の水を抜き取ることもあり、その他、金掘には徳が多い、と記述し、火薬以外の利用についても同書は述べている。同巻五「城を守るの法」において、守城戦の際、「鍛冶、大工、医師、馬医、出家、水練、文者、細工、金掘を城中に置くべし」とも記述されていることから、守城戦でも重視されていたとわかる。『訓閲集』の記述上、音を響かせないための工夫と導火には口伝による技法があったことがわかる。陸上自衛隊では有事の際、自走榴弾砲、多連装ロケットシステムMLRSといった重特科火力を、トンネル状の坑道型陣地から運用することを想定している。そのため施設科部隊には、世界でも珍しい坑道掘削の専門部隊がある。坑道中隊の訓練内容に関してはセキュリタリアンの「トンネル中隊、ただいま状況中!」を参照
出典:wikipedia
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