LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

安川・平山論争

安川・平山論争(やすかわ・ひらやまろんそう)は、2001年に名古屋大学名誉教授の安川寿之輔と静岡県立大学国際関係学部助手(当時)の平山洋との間でなされた論争のこと。論争は「福澤諭吉がアジア諸国を蔑視していたかどうか」が問題となっておこなわれた。さらに、福澤がアジア諸国を蔑視していた証拠とされる「時事新報論集」は無署名の論説から成るため、「時事新報の無署名論説を福澤が執筆したのかどうか」も議論された。2001年は福澤諭吉の没後100周年に当たるため、福澤の再評価やイベント・関連出版などがおこなわれた。『朝日新聞』は2001年1月11日に「オピニオン」欄で「新しい世紀を福沢諭吉の思想・精神で迎えよう」(船橋洋一)という記事を掲載した。この記事に対して、安川は批判の手紙を送ったが、返答はなかった。そのため、安川が編集局長宛に「朝日新聞の社員教育は一体どうなっているのか」という抗議文を送ったことが契機となり、同年4月21日の同紙「私の視点ウイークエンド」欄に論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」が掲載されることになった。論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」の内容は、安川の『福沢諭吉のアジア認識――日本近代史像をとらえ返す』(高文研、2000年)の要約であった。2001年4月21日の『朝日新聞』に掲載された安川の論説「福沢諭吉 アジア蔑視広めた思想家」に対して、平山が反論「福沢諭吉 アジアを蔑視していたか」(同年5月12日付同紙)を掲載したことで、「安川・平山論争」が始まった。『朝日新聞』紙上の「私の視点 ウイークエンド」での論争は以下のとおりである。同年5月21日に安川は慶應義塾大学で講演をおこない、講演資料で「福沢論争 批判は事実に基づいて」という再反論を掲載した。この資料に対して、5月30日に平山は再々反論をおこなった。さらに、5月30日から6月26日の間に、安川と平山との間で往復で3回の意見交換が書簡でおこなわれた。意見交換の中で、平山は公開書簡「福沢論争 事実としての『福沢全集』」において、安川が『福澤諭吉全集』(岩波書店、1958年-1964年)の8巻から16巻までを占める「時事新報論集」を無条件に受け入れているのは不自然であるという意見を述べた。この意見に対して、安川は無署名の論説から成る「時事新報論集」を編纂した石河幹明の作業は確実であり、「侵略的思想家としての福沢像にも揺るぎがない」との意見を述べた。この意見に対して、平山はと批判し、こうした傾向を「石河への盲目的愛」と名づけて、公開書簡「なぜ安川寿之輔はかくも石河幹明を愛するのか?」を発表した。この批判に対して、安川はと反論した。その後、平山は慶應義塾福澤研究センターで文献の調査をおこない、2002年5月から『福沢諭吉の真実』の執筆を始めた。同書が完成したのは2003年4月で、2004年8月20日に文藝春秋から発行された。同書の「はじめに」で、平山は「現行版『全集』のうち第七巻までの著作と、第八巻から第一六巻の「時事新報論集」とは、そこに収められた経緯が全く異なっている」ことを重大視して、と指摘した。安川は、平山の『福沢諭吉の真実』と、その理論的な根拠となる井田進也大妻女子大学教授(当時、現・名誉教授)の『歴史とテクスト――西鶴から諭吉まで』(光芒社、2001年)とを批判した『福沢諭吉の戦争論と天皇制論――新たな福沢美化論を批判する』(高文研、2006年)を出版した。安川は同書の「まえがき」において、と宣言し、同書の執筆目的を明らかにした。平山は『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の内容に対して、ウェブ上で「『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』の逐語的註」を発表した。平山は2012年にそれまでの福澤研究を集めた『アジア独立論者 福沢諭吉』を出版した。特にその第III部において安川の『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』に対する反論を収録している。また、安川の説を支持し平山の説に反対した杉田聡の『福沢諭吉 朝鮮・中国・台湾論集』の解説に対して反論した論説も収録している。平山は同書の「はじめに」において以下のように解説している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。