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ハングル

ハングル()は、朝鮮語を表記するための表音文字である。1446年に李氏朝鮮第4代国王の世宗が「訓民正音」(、、略称:正音)の名で公布した。意味は「偉大なる(ハン)・文字(グル)」である「ハン」を「大韓帝国」の「韓(ハン)」とする説もある。現在、大韓民国では「ハングル」、朝鮮民主主義人民共和国では「チョソングル(チャ)」(、朝鮮文字の意)もしくは「ウリグル」(、我々の文字の意)と呼ぶ。ハングル制定時の正式名称は「訓民正音」であったが、当初から諺の文字という意味で「諺文」(、オンムン)と呼んだ。また、知識のない平民たち、女や子供が使う卑しい文字として「アムクル(女文字)」、「アヘグル(、子供文字の意)」とも卑下されてきたといわれるが、解例本に「諺」が通常語彙としてあるように必ずしも卑称ではないとする見解もある。諺文という卑下した名前をきらって「ハングル」の語が使われるようになったのは1900年代である。周時経は1913年に朝鮮語の研究会の名前を「ハングルモ」としている。朝鮮語のローマ字表記の1つであるM-R式を考案したマッキューンとライシャワーは、1939年当時に朝鮮語学会が「ハングル」、朝鮮語学研究会が「チョンウム(正音)」の語を使っていると述べている(なお、この論文ではハングルのハンを「一」と解釈して、Unified System と翻訳している)。ラテン語表記では「Hangul」と表記されることが多いが、近年は2000年式に準拠した「Hangeul」という表記も使われている。英語圏では「Korean Alphabet」と呼ぶこともある。中国では「諺文( )」もしくは「韓文」「朝鮮文字」と呼ぶ。日本は古くから「諺文(げんぶん、オンモン)」また「朝鮮文字」と呼んでいたが、現在では「ハングル」という呼称が一般的である。朝鮮半島では15世紀半ばまで、自民族の言語である朝鮮語を表記する固有の文字を持たず、知識層は漢字を使用していた。口訣(こうけつ・くけつ)・吏読(りとう)など漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義的な保守派の反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル・西夏・女真・日本・チベットのみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。しかし、世宗はこのような反対を「これは文字ではない(中国文化に対する反逆ではない)、訓民正音(愚かな民に発音を教える記号)に過ぎない」と押し切り、鄭麟趾など集賢殿内の新進の学者に命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布した。「民を訓(おし)える正しい音」の意である。1504年、燕山君の暴政を誹謗するハングルの張り紙が各地で発見され、燕山君はハングルの教育や学習を禁止し、ハングルの書籍を焼却、ハングルを使用する者を弾圧した。世宗時代に設置されていた正音庁は中宗年間の1507年に閉鎖されたが、ハングルの使用は禁止されることなく、民衆の書記手段として広まることになる。1490年に軍官の羅臣傑(1461年~1524年)が妻の孟氏に送ったハングル書簡は現存最古のハングル書簡であり、1998年に慶尚北道安東で発掘された李応台(1556年~1586年)の墓で亡くなった夫の死を悼む妻からのハングル書簡が発見された。『ウォンの父へ・・・丙戌(1586年)6月』と始まる長文の手紙である。また17世紀に宋奎濂が自分の下男のキチュック(己丑の意)に書いた書簡などが残っている。一方、ハングルは支配層でもよく使われ、王室をはじめ王・王妃の勅令や臣民への伝言、王・王妃と公主のハングル書簡・王族同士のやりとりしたハングルの手紙も残っている。また、宮廷や両班階級におけるハングルの使用もあり、国王の記したハングル書簡としては宣祖の『御筆諺簡』(1603年)筆写文献が現存している。両班では李珥、権好文、金尚容ら両班の文化人が時調(詩歌)を詠む際にも、ハングルが利用された。文定王后・仁穆王后などの諺文勅令や明聖王后が都落ちする儒学者の宋時烈を引き止めるハングル書簡、1839年に憲宗の祖母・純元王后によるキリスト教禁止令である『斥邪綸音』をハングルで書いて公布した。ハングルはまず、発案者である世宗のもと国家的な出版事業において活用された。ハングルの創製直後1447年には王朝を讃える頌歌『龍飛御天歌』、仏を讃える頌歌『月印千江之曲』、釈迦の一代記である『釈譜詳節』が相次いで刊行され、次いで1448年には韻書『東国正韻』を刊行した。その後も国家によるハングル文献の刊行は続き、諺解書(中国書籍の翻訳書)を中心にその分野は仏典・儒教関連書・実用書など多岐にわたる。刊行された書籍は各地で覆刻され版を重ねることが少なくなかった。世祖の書簡『上院寺御牒』(1464年)もハングルである。開化期になると民族意識の高揚とともにハングルが広く用いられるようになる。開化派と井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行され、これには漢文のほかにハングルのみによる朝鮮文が採用された。それまで公的な文書においてハングルが正式に用いられることがなかった朝鮮において、政府の関与した文書にハングルで記された朝鮮文が採用された意義は大きい。また、『漢城周報』では漢文的要素の強い朝鮮文である「国漢文」と呼ばれる新たな文体も同時に創作・採用された。国漢文の創作・採用に当たっては日本の漢文書き下し文の文体を参考にしたと見られるが、そのような経緯には福澤諭吉門下の井上角五郎の助力があったと見られる。しかしながら、国漢文は漢文の素養を必要とする文体であったため、一般に広く流布するには至らなかった。1896年に創刊された『独立新聞』はハングルと英文による新聞であった。これは分かち書きを初めて導入した点でも注目される。公文書のハングル使用は、甲午改革の一環として1894年11月に公布された勅令1号公文式において、公文に国文(ハングル)を使用することを定めたことに始まる。1906年に周時経が『大韓国語文法』を、1908年に『国語文典音学』を出版した。また崔光玉の『大韓文典』と兪吉濬の『大韓文典』(崔光玉の『大韓文典』と同名)、1909年に金熙祥の『初等国語語典』、周時経の『国語文法』などが出版された。「ハングル」という呼称が文献上に初めて現れるのは大日本帝国による韓国併合以降の1912年のことであり、周時経に始まる。韓国併合時代の朝鮮総督府は「諺文」(おんもん)と呼び、1912年に普通学校用諺文綴字法を制定し、1921年には周時経の弟子らが朝鮮語研究会を結成し、総督府と協力して1930年には正書法諺文綴字法を制定した。1920年からは併合下でタクチ本が多数出版され、読書が朝鮮半島で大衆化・近代化する決定的な契機になった。1933年、朝鮮語綴字法統一案が出され、これが韓国でのハングル正書法(1988年)のもととなった。北朝鮮では1954年に朝鮮語綴字法、1987年に朝鮮語規範集が出された。ハングルの創製の原理を記した『訓民正音解例本』ではハングルの母音と子音を陰陽五行に基づいて創っていると記されている。また同書の序文では「賢い者は朝の間に、愚かな者だとしても十日なら十分に学んで習うことができる」と記されている。陰陽の原理に基づいて創られた。五行に基づいて創られた。ハングルは表音文字である。ひとつひとつの文字が音節を表す文字体系だが、子音と母音の字母(、"チャモ")を組み合わせて文字を構成する。このような文字体系を素性文字と呼ぶ研究者もいる。子音字母は基本字母が14個、合成字母が5個の計19個、母音字母は基本字母が10個、合成字母が11個の計21個であり、合成字母を含めた字母の総数は40個である。それぞれの字母は以下の通りである。なお、1446年訓民正音創製当時と現在とでは文字の構成要素も変化している(古ハングル)。創製当時には中期朝鮮語の音韻を表す子音字母( , , ) 、母音字母( )があったが、現代では用いられない。字母「」は音節頭の位置にあるときには子音がないことを表し、音節末にあるときには鼻音を表す。合成字母の配列順序は韓国の順序に従う。字母(チャモ)を2つ以上組み合わせて1文字を成す。1文字の構成は子音字母 + 母音字母あるいは子音字母 + 母音字母 + 子音字母のどちらかである。音節頭の子音字母を初声、母音字母を中声、音節末に来る子音字母を終声またはパッチム(。「支えるもの」の意)と呼ぶ。初声と中声の組み合わせ方には3つのタイプがある。終声があるときは、これらの下に終声を置く。なお、終声として用いることのできる子音字母は、 dd, bb,を除いた16個である。また、朝鮮語の形態音素表記のために、終声では2つの子音字母を左右に組み合わせることがある。正書法で認められている組み合わせは、 gs, nj, nh, lg, lm, lb, ls, lt, lp, lh, bsの11種類である。ハングルの由来をめぐって諸説があるが、1446年9月上旬に発刊した『訓民正音解例本』にはハングルを創製した理由と陰陽の原理に基づいて子音と母音を造ったと明らかにしている。今更ハングルの字形の由来に関する直接的な論争はないが漢字とパスパ文字の起源説がある。ハングルの音体系は子音字母が三十六字母に対応するように作られているなど、中国音韻学に則っており、『訓民正音』にはハングルの字形について「象形而字倣古篆」、宋・鄭樵の『六書略』の「起一成文図」を起源とする説もある。字母の字形などについては、『訓民正音』の「制字原理」に書かれていることが全てか、更に原形となるものがあるのかについて議論がある。ハングルはパスパ文字を基礎にしたと言う主張もある。パスパ文字は1269年にフビライ・ハンがラマ僧のパスパ(八思巴)に命じて作らせたもので、モンゴルから支配された高麗時代以降、李氏朝鮮の時代の知識人もこのパスパ文字を習得していた。コロンビア大学名誉教授は、「古篆」は当時「蒙古篆字」の名で知られていたパスパ文字を指すとしているハングルはパスパ文字の多大な影響・刺激を受けて創出されたのはもはや事実という見解がある。それによると、ハングル成立に先立って契丹文字、女真文字、西夏文字、パスパ文字の様々な民族文字が先行・成立していたことが重要であり、ハングルはそれら民族文字の最終走者であり、特にパスパ文字はアジア初の体系的表音文字であるため、その表音文字という発想がハングル成立に巨大な刺激を与えており、ハングルがパスパ文字の巨大な影響を受け作成されたのは、モンゴル帝国に支配されていた記憶が生々しい李氏朝鮮初期にハングルが作成されたことが傍証であるという。南北朝鮮では、字母の扱いや、辞書における見出し語の配列などが異なる。韓国はソウル方言に、北朝鮮は平壌方言に依拠しているため、発音も若干異なる文化観光部2000年式、マッキューン=ライシャワー式、北朝鮮1992年式などがある。字母を組み合わせて作られる文字の理論上の組み合わせは11,172文字だが、実際に使用されるのはその半分以下である(1987年に韓国の国家標準となったコンピュータ用の文字セット(KS完成型、KS C 5601-1987)には日常の99%が表記できる範囲として2,350字しか含まれなかった)。なお、1994-1995年ごろまでは11,172文字全部を表現できる文字セット(組合型、johab)が圧倒的に多く使われていたが、Windows 95でKS完成型を拡張した文字セット(拡張完成型、UHC (Unified Hangul Code))を採用し、後のWindowsにも使用されたため、現在は組合型文字セットはほとんど使われていない。なお、Windows NT系ではUnicode 2.0(KS C 5700、現:KS X 1005-1)以降をサポートしている。Unicode にはハングルを符号化するための文字が数種類あり、標準的に使用されるものは、ハングル字母 (U+1100-11FF) とハングル音節文字 (U+AC00-D7A3) である。ハングル字母はハングルを構成する字母で、これらを合成する事により15世紀から現代までのハングル音節文字を作成できる。U+1100-115F は初声子音、U+1160-11A2 は中声母音、U+11A8-11F9 は終声子音が定義されている。ハングル音節文字は、2 つの字母からなる音節 399 文字、3 つの字母からなる音節 10,773 文字の合計 11,172 文字で構成されている。この他にハングル互換字母 (U+3130-318F) があるが、KS完成型(KS C 5601-1987、現:KS X 1001:1998)との互換性のために存在する。Unicode では、Unicode 1.1 以前と Unicode 2.0 以降ではハングルを定義する領域が異なっており互換性がない。Unicode 1.1 までは U+3400-4DFF にハングルが定義されていたが、Unicode 2.0 制定時に、新しく U+AC00-D7AF にハングルが定義され旧領域は破棄された。その際、韓国の要求により KS C 5601-1992 の組合型文字セットに基づく現代ハングル音節文字 11,172文字 が網羅されている。なお Unicode 2.0 で破棄された領域は、Unicode 3.0 制定時にCJK統合漢字拡張 A 集合として U+3400-4DBF に定義され、Unicode 4.0 制定時に易経記号集合として U+4DC0-4DFF に定義されている。ハングルは世界中の言語を表記できる文字であると誤解されることがあるが、朝鮮語には英語のfやzなどの音がないため、現在使用されているハングルでこれらを原音通りに表記するのは不可能である。ハングルで外来語を表記する際、これらの音は近似音に置き換えられ、例としてfは(p)、zは(j)となる。また、ハングルがユネスコ記憶遺産に登録されていると報じられることがあるが、ユネスコ記憶遺産に登録されているのは「ハングル」ではなく「訓民正音解例本」である。2009年にはハングル世界化プロジェクトによってインドネシアの少数民族チアチア族がチアチア語の文字表記にハングルを導入した。韓国の「訓民正音学会」が中心となって、チアチア語のハングル表記をすすめた。チアチア語にはアルファベットやアラビア文字では表せない音があるが、ハングルなら表記が可能であるかもしれないと採用された。チアチア語は「固有の文字を持たず、固有語を失う危機にあった」ため、韓国の団体が提案し、2009年7月、バウバウ市にてハングル普及覚書を交わした。しかし、これらの表記法はチアチア語の音韻を反映するものではなく、朝鮮語の事情にあわせて作成されたものであり、趙義成は「アジアの一半島とその周辺でしか用いない文字をあえて採用する必要はない」として、世界的に汎用性のあるラテン文字でチアチア語を表記した方がはるかに合理的で効率的であるとした。バウバウ市はインドネシア政府と相談せずに導入を決定しており、インドネシア政府もハングルを公式文字として採用していないと発表している。世界日報も、実際には現地に韓国教師は派遣されていない上、ハングルがチアチア族の公式文字に採択されたという事実もないとしている。2011年10月、このプロジェクトが頓挫していると報じられた。黒田勝弘はこれらの情報は実際には現地の学生がハングルを学習する程度の話であったのであり、同市が公式文字を採択したという韓国マスコミの報道は、ハングルの優秀性を示す「ハングル愛国主義」のために誇張された虚報だったとした。

出典:wikipedia

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