中村 国重(なかむら くにしげ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。山名氏の家臣。父は中村豊重、幼名は鍋法師丸、通称・源八郎。中村豊重の子として生まれたが、永禄6年(1563年)に湯所口の戦いで父が討死したため、急遽家督を継承した。まだ幼く元服前であったため、家中では家督を巡る混乱が生じたが、因幡守護の山名豊数がこれを仲裁して当主となることを命じたため、家中の混乱は収まった。その後は山名豊数に重用され、永禄7年(1564年)には八東・高草・気多・法美郡内の土地が所領として与えられている。豊数亡き後はその弟・山名豊国の家臣となり、やがて元服して偏諱(「国」の1字)を受け中村源八郎国重と名乗った。二次史料ではあるが『陰徳太平記』には元亀3年(1573年)にあった山名豊国の鳥取城攻めの武将として国重の名前が記されている。晩年の動向や没年などは不明。
出典:wikipedia
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