クィルバック () は、アメリカ海軍の潜水艦。テンチ級潜水艦の一隻。艦名はサッカー科の淡水魚クィルバックに因む。本艦は建造が認可された当初、艦名はシビレエイ目の一種ブラジリアン・エレクトリック・レイの通称トレンブラー (Trembler) と命名される予定であったが、1943年12月7日に変更された。クィルバックは1944年6月27日にメイン州キタリーのポーツマス海軍造船所で起工した。1944年10月1日にJ・A・タイリー・ジュニア夫人によって命名され、1944年12月29日に艦長リチャード・P・ニコルソン少佐(アナポリス1937年組)の指揮下就役する。コネチカット州ニューロンドンでの訓練のかたわら、フロリダ州キーウェストでのによる実験プロジェクトに参加。プロジェクト終了後、クィルバックは真珠湾に向けて出航し、5月1日に到着した。5月30日、クィルバックは最初の哨戒で日本近海に向かった。サイパン島までの道中はシルバーサイズ (') 、レッドフィン (') と各種訓練を行った。6月11日にサイパン島に寄港し、翌12日にシルバーサイズ、カブリラ (") と出航。豊後水道入口沖の島近海の哨区に到着した。7月2日、クィルバックはの地点で魚雷艇と思われる艦船を発見し、砲撃で撃沈。また、沿岸から0.5マイルの海上で一人のパイロットを救助した。7月24日、クィルバックは53日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。クィルバックは、2回目の哨戒に向けてアプラ港で整備中に終戦となった。戦後のクィルバックは、平時任務としてニューロンドンで第2潜水戦隊に所属し活動した。1945年から51年まで潜水艦学校の訓練任務に従事し、海軍水中聴音研究所の実験任務を行う。1951年4月にニューロンドンを出航し、地中海での第6艦隊との任務に就く。クィルバックは1952年4月にポーツマス海軍造船所でGUPPY改修が行われた。改修が完了するとクィルバックは1953年2月27日に再就役し、大西洋艦隊潜水艦部隊に合流する。クィルバックはキーウェストの第4潜水戦隊に配属された。グアンタナモ湾への何度かの巡航と沿岸での作戦活動を行い、クィルバックは駆逐艦対潜水艦戦部隊の艦隊訓練グループを支援した。1956年、57年、58年にクィルバックは北大西洋での大規模艦隊演習およびNATOの演習に参加した。1959年に第12潜水戦隊へ転属となり、1960年にはサウスカロライナ州チャールストンで、攻撃能力向上のための広範囲オーバーホールが行われた。1961年10月に地中海へ展開し、1962年2月にキーウェストに帰還する。キーウェストでは5月から10月まで活動し、キューバ危機が発生するとグアンタナモ湾へ展開する。1963年はキーウェストで活動し、グアンタナモ湾での艦隊訓練グループの支援を行う。クィルバックは1964年7月から6ヶ月地中海へ展開した。1965年には水雷研究開発プロジェクトの実験任務が割り当てられ6月まで同任務に従事、その後グアンタナモ湾に展開する。キーウェストでの作戦活動後、1967年8月から11月まで地中海に再び展開した。1968年と69年は大半をカリブ海での活動で過ごす。クィルバックは1973年3月23日に除籍され、1974年3月21日に売却された。クィルバックは第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。
出典:wikipedia
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