出海村(いずみむら)は、1954年(昭和29年)まで愛媛県喜多郡にあった村であり、現在の大洲市の北西端、伊予灘に面した農漁村であった。現在の大洲市の北西端部。北西は伊予灘に面している。背後には山が迫り、南に耳取峠を境として日土村と接する。東は鶴首峠を境として大和村豊茂に接する。海岸線に沿って東に櫛生村、西に磯津村。当村の付近は中央構造線近くの断層崖海岸が続き、平地は乏しい。中心に尾中川、土居川、野田川などの小河川により形成された三ケ月状砂浜が小規模ながら形成され、民家もこの付近に集中している。古代 - 中世戦国時代に水上城主であった兵頭石見守直政が、天正13年に豊臣秀吉の四国征伐に伴い、小早川隆景の軍勢によって開城され、当地の庄屋になったと伝えられる。藩政期明治以降集落は、出海の1つのみ。中心部に行政施設、教育施設などがこぢんまりと立地している。東隣の櫛生村同様、明治の市制・町村制度施行の際にも一村がそのまま村となった。その後長浜町になっても大字として受け継がれた。平成の合併により大洲市となって、大字は省かれるようになった。最寄り駅は国鉄予讃本線伊予長浜駅。長浜と当村さらには磯津とを結ぶバス路線がある。
出典:wikipedia
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