『祇園会』(ぎおんえ)は古典落語の演目の一つ。原話は、天保年間に出版された笑話本・「如是我聞」の一遍である『都人』。別題は『京見物』。京者の暴言に激怒し、怒り心頭で怒鳴りまくる江戸ッ子と、原因を作っておきながらいけしゃあしゃあと京の自慢を続ける京者の対比が特徴の噺。『祇園会』だけを演じる場合は、『片棒』と同じく祭囃子を口で演じる場面が入るのが通例となっている。主な演者には、4代目橘家圓喬や8代目桂文治などがいる。とくに8代目文治の口演は演者自身が上方で修業したこともあり、上方と江戸の言葉の使い分けが絶品で、「祇園祭の文治」という通り名で呼ばれていたほど上手だったと言う。オムニバス形式の落語であり、演者によってさまざまな組み合わせが見られる。八五郎が無尽に当たり、一晩で大金持ちになった。
「こりゃあいい」と大喜びしていたら、親戚一同に『宵越しの銭を持たないのが江戸っ子だ!!』と責められて旅に出る事に。仲良しの熊五郎・半次を誘い、京都の叔父を頼って都見物にやってきたが、あいにくの旅疲れか八五郎一人がドッと患ってしまう。
病が長引いたので、友達二人は先に江戸に帰り、八公一人残って養生するうち、三月ほどしてようやく動けるようになった。祇園会の時期。一度、話の種に見たいと思っていたので、叔父の案内で祇園新地の揚屋(あげや)の二階を借り、酒を飲みながら祭り見物をすることに。ところが、当日になって叔父さんが急に行けなくなり、代わりに叔父さんの友達だという男がやって来た。源兵衛というその男と八、そして途中で知り合った上方者の都合三人で祭り見物。江戸の祭と違い、山車(だし)の出が遅くて、四ツ(夜10時過ぎ)を過ぎてもなかなかやって来ない。おまけに源兵衛はやたらと国自慢ばかりする男で、何かにつけて「京は王城の地」とうるさいの何の…。「酒は伏見、人は京。なんて言うたかて京は『王城の地』どすからな。江戸とは違いますわ。」ちょっとカチンときたものの、ここで怒っては江戸っ子の評判を下げるので、我慢をして聞いている八五郎。それに気をよくしたのか、源兵衛とうとうが言ってはいけない言葉を口にしてしまった!「江戸ッ子なんか、所詮は東夷の田舎者どすな。」ここでとうとう八五郎が爆発!!「いくら古いか知らないが、こんな抹香臭い所はもうたくさんだ!!」そこからは土地柄から食べ物、果ては祭囃子まで飛び出す壮絶なお国自慢が勃発。「御所の紫宸殿の砂利を掴んでみなはれ、瘧(おこり)が落ちるちぃまんにゃ。」
「それが如何した!? こっちだって江戸城の砂利を掴んでみろい…」
「どうなります?」
「首が落ちらぁ!」大坂者のとりなしで何とか騒ぎも一段落し、しばらく経った所で八が「芸妓を一人買ってみてえ」と言い出した。しかし、今は祭礼の真っ最中。茶屋に残っている芸妓にはろくなのがおまへんと女将さんは渋い顔だ。それでも一人いるにはいるが、その女は欲が深く、客の商売に応じて「あれが欲しい、それが欲しい」と無心ばかりするので評判が悪いのだという。
茶屋の女将が渋るのを、「八がねだってもとてもやれないような商売を言うことにしよう」と提案したので、それはおもろいとみんな賛成する。やってきたのは亀吉という芸妓。鴨川の水で洗いあげ、なかなかいい女だが…。案の定、いきなり「お客はん商売は何どす?」ときたから一同呆れた。源兵衛が飛脚屋だと言うと、「私の客が名古屋にいるよって、手紙を届けておくれんか?」もう一人が石屋だと言うと、「父親の七回忌だから、石碑を一本タダでおくれやす。」「江戸はん、あんた商売は何どす?」
「聞いて驚くな。オレは死人を焼く商売だ!」
「そうどすか。おんぼうはんにご無心がおます。」
「おんぼうに無心とは何だ?」
「私が死んだら、タダで焼いておくれやす。」今度は大坂見物になったが、また八と源兵衛の自慢合戦が始まってしまう。妙国寺の大蘇鉄を見せられ、「江戸へ帰んなはったら土産話にしなはれ。これが名代の妙国寺の蘇鉄だす。」
「なんだ、オレはまた、わさびかと思った。」本作は古くからある江戸落語の連作長編「三人旅」の終わりの部分が独立した作品。昔は、東海道五十三次の宿場一つ一つに対応した噺が存在したが、現在では「神奈川」、「小田原」とこの「祇園会」しか残っていない。
出典:wikipedia
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