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ジェイ・アール北海道バス

ジェイ・アール北海道バス株式会社(ジェイ・アールほっかいどうバス)は、北海道札幌市に本社を置くバス事業者で北海道旅客鉄道(JR北海道)の100%子会社である。札幌市内を中心に路線バスや都市間バスを運行するほか、貸切バス事業も行っている。国鉄バス時代から札幌市郊外の手稲区・厚別区などを中心に住宅地と都心部を結ぶ生活輸送を事業の中心に据えており、現在でも一般路線車の所属台数はJRバスグループの中で最も多い。さらに2003年に廃止された札幌市営バスより琴似自動車営業所を譲受し、札幌市内のバス路線網では北海道中央バスに次ぐ高い割合を占めている。その一方で鉄道の補完路線として開設された地方バス路線は、業績の低迷から現地の事業者へ相次いで譲渡された。路線バス車両は2014年3月現在で418台登録されており、北海道内では北海道中央バスに次ぐ規模となる。国鉄末期から運行する高速バス路線で、現在は北海道中央バスとの共同運行。詳細は札樽線 (ジェイ・アール北海道バス)を参照。原則予約制で、直行便を含む旭川を跨ぐ乗車は2006年12月より座席指定となっている。旭川 - 紋別間のみの乗車は自由席、札幌 - 旭川間のみの乗車は高速あさひかわ号に準じて予約不要となる。直行便は比布大雪PAで、旭川経由便と特急オホーツク号は上川駅前で休憩時間を設定する。1984年6月27日より道北バスと北紋バスが旭川 - 紋別間で特急オホーツク号を運行していたが、1996年4月11日に高速あさひかわ号と特急オホーツク号各4往復を振り替え、4社共同運行で札幌 - 旭川 - 紋別間に高速流氷もんべつ号を新設した。2001年より札幌線を直行便に順次切り替え、現在は直行便3往復と旭川経由便1往復で運行。2006年度より2月の流氷観光期限定で直行便が2往復増回される。直行便限定で「愛別東町」「上川ポンモシリ」停留所が設置されたが、旭川紋別自動車道の延伸により順次廃止され、現在は浮島ICを利用し、野幌から滝西まで停留所は設定されていない。また、全便が停車していた「浮島トンネル記念公園」停留所は2006年12月1日に廃止されている。2005年度の乗車実績は49,647人。ジェイ・アール北海道バスは高速流氷もんべつ号の紋別行直行便1本と旭川経由札幌行1本を担当する。1989年8月11日より繁忙期の臨時帰省バスとして各社1往復ずつを担当する5往復で運行を開始。1990年3月9日より「ポテトライナー」として通年運行が開始された。1995年12月1日に大谷地ターミナル、1997年9月1日に清水と芽室を新設し1往復を十勝川温泉まで延長。2002年12月1日には発車オ〜ライネットによるインターネット予約開始し御影を新設。2005年4月1日より音更経由(音更大通11丁目、木野大通16丁目、木野農協前)2往復を新設し、芽室経由は4往復とし臨時便を廃止。2009年12月23日から音更経由が1往復増回。2011年10月30日の道東自動車道全通による改正で直行便を含む3往復を増回し計10往復、所要時間が約20分短縮となった。帯広行は路線開設以来札幌ターミナル始発で、札幌駅前ターミナルおよび札幌駅前は札幌行の降車のみ扱っていたが、2016年(平成28年)4月1日より経由便、直行便とも札幌駅前ターミナルで帯広行の乗車扱いを開始した。運行を開始するにあたり北海道中央バスが共同運行事業者を募ったところ、他4社が名乗りを上げた。1路線5社での運行は極めて異例であり北海道運輸局の指導で調整が図られたが不調に終わり、結局5社揃って認可された経緯がある。運行開始当初は帯広側の事業者として帯広自動車営業所が担当しており、営業所廃止により札幌中央(札幌)営業所に移管されたが、帯広を基点としたダイヤも引き続き受け持っている。札幌と帯広の間は200キロ程度の距離であるが、帰省バス当時から夜行便が設定されていた。1991年9月20日の国道274号日勝峠ルート開通に伴う改正で定期運行を廃止し、2000年夏期まで繁忙期臨時便として運行されていた。予約制。詳細は日勝線を参照。予約制。詳細は日勝線を参照。予約制。詳細は日勝線を参照。北海道中央バスとの共同運行。冬期限定運行。季節運行。新日本海フェリーの発着に合わせて運行される。苫小牧東港発便のみ、乗車人員把握のためにバス乗車整理券を発行する。2013年4月運行分より予約制となる。他社と共通利用しているカードとして以下のカードがある。詳細は各記事を参照。販売・利用が終了している乗車カード等は次のものがある。他社と共通利用しているものについての詳細は各記事を参照。2007年7月に北海道内初の広告付きバス停留所上屋を札幌市内に7基設置した。2008年度中に50基に増設する計画で、上屋は高さ2,880mm、横4,960mm、奥行1760mm、スチール製の骨組をガラスで囲い、ベンチも配置する。広告は、片側側面の内外それぞれ1面を提供し、電気代など維持管理は広告料収入でまかなわれる。2014年11月現在ジェイ・アール北海道バス管理分は25基。平日の朝に55-1・手稲線(西宮の沢5条2→JR札幌駅及び手稲営業所前→JR札幌駅 各1便)、新16・緑ヶ丘団地線(緑ヶ丘団地東→新札幌駅・1便)、新13・上野幌線(雇用促進住宅入口→新札幌駅・1便)、51・啓明線(啓明ターミナル→JR札幌駅・1便)において、芳香剤と化粧直し用の鏡を数個設置した女性専用のバス車両を運行。運転手も女性が務めていた。2012年12月1日ダイヤ改正をもって廃止された。札幌ドームでの試合やイベントの開催に合わせて、新札幌駅バスターミナル、JR白石駅南口と札幌ドームを結ぶ臨時シャトルバスを運行している。運行は札幌、厚別、長沼、琴似、手稲の各営業所が担当し、大半が一般路線車が使用されるが、稀にハイデッカー車も投入される。新札幌駅バスターミナル発着は北海道中央バスとの共同運行ではあるが、乗車できる定期券やカードなどは異なる。貸切バス車両は2014年3月現在で42台登録されており、事業は札幌・室蘭・帯広・釧路・函館(離島を除く)の各運輸支局管内および旭川市、深川市、雨竜郡、上川郡美瑛町、空知郡上富良野町での発着が認められている。JR北海道のバス部門だった1992年より、大型ツアー企画として「日本一周バスの旅」(1996年以降は「全国一周バスの旅」)の運行を行なっている。当初はJR北海道発足5周年を記念して企画されたもので、全国の観光地をJR北海道バスの観光バスで巡り、行程は実に30泊31日に及ぶ。88万8千円(2000年までの価格) - 130万円(2004年の2名1室の価格)という高額商品ながらも人気を呼び、毎年運行されている。1ヶ月にも及ぶ長期行程のため、途中数カ所でツアー参加者全員の健康診断を行うほか、車庫滞泊やバスガイド貸し出しなど、運行支援にJRバス各社も協力する。第1弾が実施された1992年に、ドキュメンタリー番組「北緯35度の風」(毎日放送製作・TBS系列)の「激走!日本一周バスの旅」という副題で、全行程の模様が2週に渡り放送された。トレードマークは国鉄バスの伝統を受け継いだツバメが使用されている。また、現在車体に表示されているロゴマークは略称の「JHB」をデザインしたものである。分社前は鉄道と同様に「JR」のロゴマークが使用されていた。塗装デザインについては、路線車については国鉄色を踏襲し、塗り分けのみ一部変更したものであるが、貸切車・高速車においては、白をベースカラーとしてJR北海道のコーポレートカラーである萌黄色とアマンドピンクの帯を配したデザインが1987年に採用された。これはJRバス全体でも初のオリジナルカラーである。なお、国鉄末期にも札樽線の高速車両において、それまでの国鉄バスとは全く異なるカラーリング(183系500番台気動車と同一デザイン)を施したことがある。車両は現在は国内4メーカーから導入しているが、国鉄バス時代の流れで日野自動車・いすゞ自動車製(純正車体及び富士重工製)が多い、三菱ふそう車は1989年にエアロクイーンM (P-MS729S)を2両新車にて導入。路線車は1991年にK-MP118Nを中古にて初導入、新車はエアロスターM (U-MP618M)を1993年に1両初導入。日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)車は2003年4月札幌市営バス路線の移譲に伴い、札幌市交通局が所有していた日産ディーゼル製の路線車も譲受した。なお2004年度には初の新車(KL-UA452MAN)が2台導入された。中古車は1991年に神奈川中央交通の車両を購入したのが最初だったが、譲受車の導入はJRバスの中でも最も早かった。以後、本州からの譲受車を2000年以降積極的に導入している。また、北海道のバス事業者としては比較的早い時期から低床化に取り組んでおり、1998年からワンステップバスを、2003年からノンステップバスが段階的に導入されている。2003年の札幌市営バス琴似営業所の路線移譲に際して、元市営バス車両が大量に移籍したが、移籍車の中にはCNGバスも含まれており、JRバスでは初のCNGバス導入となった。2006年4月1日の札幌地区における系統番号の付番方式変更を前に、札幌地区の車両の方向幕がすべてLED表示器に変更された。ワンマン機器については、音声合成放送装置はレゾナントシステムズのネプチューンFC-5100/FC-6000/FC-7000B、運賃箱・整理券発行器は国鉄時代から継続して小田原機器、運賃表示器はレシップ製を採用している。なお、国鉄バスの車両に標準装備されていた表示灯つきスイッチ盤が、2006年の時点でも標準装備となっている。深名線用の車両には主に観光仕様のエアロバス・スタンダードデッカー3台とエアロバスMM・9m車1台(トイレ付き)、エアロミディ1台を使用。高速車は、ポテトライナーには3列シート仕様の三菱エアロクイーンI(中古にて導入)を使用。高速あさひかわ号、高速流氷もんべつ号、えりも号、ひろおサンタ号にはトイレやマルチステレオ搭載のハイデッカー車の日野セレガ・セレガR・FDが、高速おたる号にはトイレなしのハイデッカー車がそれぞれ使用され、ネプチューン(レゾナントシステムズ)製のビジュアルコーダーを搭載し、液晶ディスプレイにて停留所案内など文字情報を提供している。貸切車は以前は一般路線車と同様、いすゞおよび日野の2社体制だったが、1989年に三菱エアロクイーンM (P-MS729S) を2両新車にて導入。以降貸切車は主に三菱ふそう車が導入されている。旅行会社との契約貸切車も存在する。また、プロ野球北海道日本ハムファイターズ・Jリーグコンサドーレ札幌の選手輸送用の車両もあり、一部車輌に語呂合わせの希望ナンバーを取得している。過去の車両で特筆されるのは、1990年から1995年まで運行されたボンネットバス「フロンティア号」(434-0001・札幌22か・8 44)である。これは、三菱ふそうの4輪駆動トラックのシャーシに呉羽自動車工業(当時)でバス車体を架装した車両(三菱W80型・1970年式)で、当初は三菱鉱業で使用され、1976年以降は栗沢町の伊藤鉱業で炭鉱の坑内作業員輸送に使用されていたが、車検切れの状態で放置されていた。伊藤鉱業の閉山を伝える新聞報道で、放置されていたボンネットバスが紹介されていたことに着目し、JR北海道が譲り受け、活用することになった。1989年11月8日にまず北海道三菱ふそう(当時)に搬入され、ここではエンジンとシャーシといった走り装置を整備したほか、腐食の激しかったボンネット部分は新しい部品を取り付けた。その後苗穂工場に移され、ここでは主に車体周りの修復と車内の整備を行ない、1990年4月に竣工した。塗装は1950年代の国鉄バス塗装(クリーム色と茶色)とされた。導入後は「フロンティア号」という愛称が設定され、新札幌駅と開拓の村を結ぶ一般路線で土休日を中心に運行された。運行時には女性車掌も乗務し、乗車券も車内で発売していた。当時としては唯一、稼動状態にある三菱製ボンネットバスであったが、部品確保の問題から1995年限りで運行を打ち切り、保存のため小樽交通記念館(当時)に寄贈された。原則として国鉄バスの附番法則をそのまま使用している。国鉄バス#車両称号を参照。

出典:wikipedia

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