相引川(あいびきがわ)は、香川県高松市を流れる相引川水系の二級河川。全長約5.0km。屋島の南側を東西に流れ、両端でともに瀬戸内海に繋がっているため、河川としては特異の「河道の両端に河口を持つ河川」である。西側部分では新川、春日川、詰田川といった河川に次々と合流しながら河口に向かう形となっているが、相引川の水流自体は河口まで専用の堤防によって区切られているため、瀬戸内海までそれら河川と水流が合流することは無い。東側の河口は、高松市と旧牟礼町の境界となっていた。厳密に言えば現在でも屋島はこの河川によって四国本土と切り離されていることになる。ただし当川は海峡ではなく、あくまで「河川」であるため、法定上屋島は単独の島ではなく日本の主要4島たる四国の一部である。源平合戦(1185年)の時代には屋島と四国本土はかなり離れていた。江戸前期までは海であり、満潮時には海水が東西から満ち、干潮時には東西に分かれたことから「相引浦」と呼ばれたという。生駒氏統治時代(1600年 - 1640年)の寛永14年(1637年)、生駒高俊が堤防を築かせ、屋島と四国本土は陸続きになったが、松平氏統治時代(1642年 - 1871年)になって、古来の妙跡を惜しんだ初代藩主松平頼重の命によって1647年(正保4年)に水路が復元され、現在の相引川の形が完成した。川の両端がともに海に繋がっているため、潮の満ち引き時には川の水が東西両方向から満ち、両方向へ向かって引いていくことから、相引川と呼ばれるようになったとする説がある。また、東側の河口付近に位置する檀ノ浦で行われた屋島の戦いの際に、源氏・平氏の双方が互いに譲らず引き分けたことを由来とする説もある。東側河口より記載。1976年(昭和51年)9月の台風17号による大雨で川の水が溢れ、屋島南部一帯が水没したため、市は相引川流域に3つのポンプ場を相次いで設置し、以後大きな水害は起っていない。
出典:wikipedia
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