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大山綱昌

大山 綱昌(おおやま つなまさ、? - 安政3年(1856年)10月)は、薩摩藩鹿児島城下士。諱は綱昌、通称は彦八。本姓佐々木源氏の大山家に養子入りする前は西郷小兵衛と称す。養父は一代小番まで進んだが、「綱昌は出世の道を捨てて、生涯を砲術研究にゆだねる」という。ただし研究していた砲術の流派や砲術師範になったかは不明。家格は御小姓与。家督は大山彦八成美が継ぐ。菩提寺は曹洞宗松原山南林寺(明治初期に廃仏毀釈で廃寺)。墓所は南林寺墓地。のち大正年間に郡元墓地に改葬。「鹿児島城下絵図散歩」では、現在の鹿児島市加治屋町4番地の東に大山彦八宅地と宅地の添え地があった。広さは天保13年当時、宅地と添え地あわせて368坪ほどで、宅地は186坪、添え地は182坪。(現在、宅地は実践会館になり、添え地のほうに大山巌誕生碑あり)。「元帥公爵 大山巌」での、元薩摩藩士で加治屋町出身である埼玉県知事吉田清英の談話で「大山さん(大山彦八家)の家は(加治屋町の下級城下士の)貧乏屋敷の中では少し広いほうだった」といっていた。なお、天保13年の、実家の西郷竜右衛門宅地(現在の加治屋町5番地、西郷隆盛誕生碑あり)は259坪、東郷吉左衛門(東郷平八郎の父)宅地(現在の加治屋町10番地、鹿児島中央高校の敷地内)は267坪(なお、番地は2003年現在)。とにかく砲術が好きだったらしく、安政3年の臨終の際、家人に「余の命日には、何等の供物は要しない。唯、墓前に煙硝を焚いて呉れればよい。」と遺言したという。家人は綱昌の墓碑に鉄砲の圖を刻んだという。

出典:wikipedia

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