山岡 景以(やまおか かげもち)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、江戸幕府旗本。天正2年(1574年)、織田信長の家臣・山岡景隆の七男として生まれる。天正16年(1588年)に豊臣秀次の家臣となり、3,000石を与えられた。文禄4年(1595年)の秀次事件では秀次に従って高野山に入るが、景以は罪を許されて豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原の戦い後は徳川家康に仕え、慶長8年(1603年)に叔父で大名の山岡景友(常陸古渡藩主)が死去すると、養子となって家督を継ぎ甲賀組を預けられた。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)にかけての大坂の陣では、冬の陣・夏の陣ともに徳川方として参加した。家康の死後は徳川秀忠、徳川家光に仕え、寛永11年(1634年)の家光の上洛にも従った。寛永13年(1636年)には甲賀の水口城番を務めている。寛永19年(1642年)6月4日、近江で死去した。享年69。
出典:wikipedia
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