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オールナイトフジ

『オールナイトフジ』("All Night Fuji")は、フジテレビ系で生放送(一部録画放送)されていた深夜番組である。タイトルは、フジテレビと同じくフジサンケイグループに属するニッポン放送の深夜ラジオ番組『オールナイトニッポン』("All Night Nippon"、略称:ANN)を意識して付けられた。本項では、1983年4月2日開始の『オールナイトフジ』及び、それ以降に『オールナイトフジ』のタイトルを冠した同様の深夜番組を記述する。1965年から1994年までに次の三つが存在している。1983年4月2日に放送開始。生放送。初代司会は秋本奈緒美と鳥越マリ。主な出演者には、デビューしたばかりのとんねるずや片岡鶴太郎をはじめ、レコードも出した「おかわりシスターズ」(山崎美貴、松尾羽純、深谷智子の女子大生トリオ)、のちにアナウンサーになった松山香織や佐野美和らがいる。出演している女子大生たちは“オールナイターズ”と称された。放送開始当初は、アダルトビデオ紹介コーナーや性風俗店探訪といった性風俗を扱ったコーナーがあったが、放送開始から1年半たった1984年の10月改編で他の民放キー局が、より過激な切り口から性風俗情報などを扱った生番組を一斉にスタートさせたため、これらの裏番組との差別化もあり以後これらの扱いはソフトなものとなった。1984年5月1日には「火曜ワイドスペシャル」枠で初の全国ネットSPが放送された。1985年初頭にはこれらの深夜番組の過激な内容が放送内容を変更せざるを得なくなった。各局の裏番組が続々打ち切られる中、『オールナイトフジ』は1985年3月30日放送でいったん終了し、翌週から『オールナイトフジII』として性風俗の話題を入れない純粋なバラエティとして再スタート。最終的にこの番組は1991年3月30日、第404回を迎えたところで8年の放送に幕を降ろした。全404回の平均視聴率は、3.5%。最高視聴率は、1989年3月25日の7.2%と深夜帯にしては異例の高視聴率を誇った。フジテレビ以外のネット期間については、ザテレビジョン各地域版のバックナンバーによる。この番組では生放送のためハプニングが続出した。有名なところではとんねるずの石橋貴明がテレビカメラを壊したり、松本明子が放送禁止用語を発した。「オールナイトフジ」の特別版「オールナイトフジ女子高生スペシャル」(1985年2月23日、3月16日)から派生し、同年4月、月曜から金曜までの平日のベルト番組「夕やけニャンニャン」の放送が始まった。スタッフ陣はほぼ同じで、番組路線的にも「オールナイトフジ」のフォーマットを踏襲した生番組の情報バラエティ。番組アシスタントとして、オールナイターズと同様に女子学生で構成されたおニャン子クラブも作り出す。こちらでもグループ本体はもとより、数々のグループ内ユニットやソロで、歌を出す・写真集を出す・他番組への出演など番組の枠を越えた芸能活動を行った。ただし、オールナイターズとは違って、おニャン子クラブは立ち上げのメンバーを除いて以降は番組内の公開オーディションで選ばれ、必ずしも素人ではなく加入前から芸能事務所に所属している者も多かった。出演者も「オールナイトフジ」と掛け持ちで、初期の司会に片岡鶴太郎、中期から末期に掛けて松本伊代を配した。また、とんねるずは初期は連日出演するなどしたが、「夕やけニャンニャン」開始と時を同じくして爆発的に売れっ子となっていったため、次第に出演する曜日は減り、中期からは水曜日のみの出演となった。番組開始当初は7局ネットで、番組とおニャン子クラブの人気上昇と共にネット局が増え、最終的に23局ネットまで拡大したが、急激な“おニャン子”人気の低落や番組自体のパワーダウンもあり、1987年8月一杯で終了した。フジテレビと「オールナイトフジ」のスタッフはその後もこの番組と同様のコンセプトを持たせた番組として「パラダイスGoGo!!」(1989年4月から1990年3月まで)やそれに出演するフジテレビ主催・運営のタレント育成講座の乙女塾を作った。「パラダイスGoGo!!」にもまた当時の「オールナイトフジ」出演者(田代まさし、B21スペシャル等)が掛け持ちしていて、近似した番組作りが行われていた。1984年 - 1986年の「深夜番組ブーム」に放送された各局の「ライバル番組」。1988年4月からの約半年間、『オールナイトフジ』本編終了後の午前3時30分(予定)から5時30分まで放送されていた。ネット局はなし。当時は本体もネット局なしの関東ローカルであった。低予算を売りにして、カメラはハンディ型1台のみ。スタジオは基本的に使用せず、全編が外からの中継という、「本体」とは異なる状況下で放送されていた。「本体」の最終回で、当時のMCであった相楽晴子や桑野信義らが語ったところによると、番組スタートの直接的理由は「オールナイトフジ本体の赤字解消」であるという。中継場所は週替わりで変化した。初回はキャバクラの女子寮から行い、それ以降も様々な場所から生中継を行ったが、後期に入るにつれ、フジテレビ社内での放送が多くなっていき、正面玄関や南玄関、第9スタジオ(「プロ野球ニュース」の常設セットを使用)などを経て、末期は1部終了後の第4スタジオをそのまま使用して放送する形へと変化した。スタッフのうち、演出陣は「本体」のスタッフから一部が専従として「延長戦」へ異動したが、「本体」のスタッフも持ち回りで担当するなど、あくまで同じ番組としての連携が図られた。ただし、番組を送り出す副調整室は「本体」で使用している第4副調整室(スタジオ)ではなく、プロ野球ニュース用の第7副調整室を受けサブとして、当初はこちらにもカメラやタレントを置き、一部コーナーを放送していた。なお、1988年9月3日(本体・延長戦ともにMZA有明から全中継)と同年10月1日(「延長戦」最終回)に限っては、「本体」と同じ第4副調整室から送り出しを行った。「本体」から「延長戦」へは、渡しコメントが必ず入り、回によっては「延長戦」メンバーが「本体」に顔出しすることもあった。「延長戦」が放送されていた期間は、それまで「本体」で放送されていた一部のコーナーが「延長戦」に移動した。「KIRIN洋楽情報」もその一つだが、「延長戦」終了後、こちらは「本体」へと戻っている。ちなみに「洋楽情報」は番組初回から最終回前週まで放送されており、番組内で唯一最後まで続いたコーナーであると言える。この番組の開始時刻はオールナイトフジ本体の終了時間に左右されており、本体の番組進行に合わせて延長戦の本編時間は決められていたといわれている。ちなみに、この期間は本体の終了時刻が「未定」との扱いになっており、延長戦も含めた番組全体としては「午前5時30分終了」と決まっていた。1994年4月から9月にかけて放送。好調だった前番組『殿様のフェロモン』の後を継ぎ、オールナイトフジ終了からちょうど3年が経った時期に復活したのが当番組である。番組ネット局はフジテレビと岩手めんこいテレビ(mit)の2局。オールナイトフジが注目を集めていた時代には、同じフジテレビのバラエティ番組でパロディ化されたことが数回あった。主なところを下記に記す。

出典:wikipedia

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