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フォルクスワーゲン・サンタナ

サンタナ("Santana")は、ドイツのフォルクスワーゲンが生産する乗用車(セダン)である。1980年から1988年まで生産されていたフォルクスワーゲンの乗用車・パサート(第2世代=B2型)の姉妹車であり、同モデルのセダン仕様に冠された名称である。「サンタナ」の名称はアメリカ南西部やメキシコで秋に強く吹く季節風「サンタナ風()」に由来し、主に南アメリカや日本、中国市場において用いられた。第2世代パサートからの派生車種は様々な名称で販売され、中国では現在まで製造・販売される「国民車」的存在となっており、ブラジルでも2006年まで製造・販売されていた。1973年に発売されたフォルクスワーゲンの中型乗用車、パサートには、セダン、ワゴン(コンビ)、ハッチバックがあったが、1980年に移行した第2世代ではワゴンとハッチバックだけとなった。その際に、セダン型の後継モデルとして新たに独立したモデルがこの「サンタナ」である。第2世代のパサートとサンタナとは姉妹車の関係であり、いずれもアウディ・80(第2世代)とプラットフォームを共用していた。縦置きエンジンを採用し、駆動方式は前輪駆動のみの中型4ドアセダンであった。1981年より1984年まで西ドイツを含めたヨーロッパ諸国で販売された。5ドアハッチバック及びワゴン(ヴァリアント)であった姉妹車・パサートは1988年まで生産され、第3世代へと移行した。パサート(第2世代)/サンタナは、ブラジルの現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」でも現地生産・販売された。ブラジルでは、1984年2月にパサートの第1世代の後継車種としてサンタナが発売され、4ドアセダンに加えて2ドアセダンが存在した。1991年に、外観のみを第3世代パサートに似せた「新型サンタナ」に移行、2006年まで製造・販売されていた。さらに、「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」とアメリカの「フォード・モーター」のブラジル法人との合弁会社である「アウトラチーナ」では、「フォード・デル・レイ」の後継車として、サンタナのフォード版である「ヴェルサイユ」を1995年まで生産していた。フォルクスワーゲンと上海汽車の合弁会社であるフォルクスワーゲン上海(上海大衆汽車)社によって、サンタナ(中国語表記=桑塔納)は、セダンおよびワゴン(旅行車)の初代モデルが当時のスタイルのまま生産販売されていた。また、独自の改良版として、1995年より「サンタナ2000」(サブネーム:時代超人→自由沸点)、2004年より「サンタナ3000」(同:超越者)が生産販売されている。これらはいずれも直列4気筒1,800ccまたは2,000ccのエンジンを搭載(車名の数字は排気量を表すものではない)し、現地ではタクシー、パトロールカーなどにも用いられている。さらに2008年1月6日には、新たにサンタナビスタ(SANTANA VISTA)(同:志俊)が発表された。かつて同国の最大都市である上海でタクシーといえばサンタナであり、長年にわたって走り込まれたサンタナを街のほうぼうで見かけることができた。北京でもシャレードとともにサンタナがタクシーの代表的な車種であった。2012年10月、フルモデルチェンジ版となる2代目を発表。中国市場を主眼に置いたコンセプトとし、設計・開発はヴォルフスブルク工場で行われた。エンジンはいずれも新開発となる1.4Lと1.6Lの2種類のガソリンエンジンを用意する。日本では1984年から、日産自動車によって神奈川県座間市にあった日産自動車座間工場でノックダウン生産・販売された。1980年、当時積極的な国外展開戦略をとっていた日産自動車の社長石原俊は、フォルクスワーゲンとの全面提携を所望、その足掛かりとしてサンタナの製造・販売を提案した。翌1981年、大和証券の仲介によって同車のノックダウン生産に関する提携は成立したが、フォルクスワーゲンはそれ以上の業務提携拡大には関心を示さなかった。その後、日本におけるサンタナの販売は、当初合意された月産4,000-5,000台の計画に対して、生産を終了した1991年までの7年間の合計でも約5万台という不調に終わり、両社の関係も後退した。後継モデルとして1990年に発売されたパサート(第3世代)は、この経緯により当初日産によって取扱販売された。直後の1991年、フォルクスワーゲンは、日本での販売に関してトヨタ自動車と提携、日産との提携は解消された。

出典:wikipedia

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