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フクニチ新聞

フクニチ新聞(フクニチしんぶん)は、かつて存在した福岡県の地元紙。夕刊フクニチともいう。フクニチ新聞社が発行していた。1946年(昭和21年)4月8日、西日本新聞の僚紙的位置付けで夕刊紙として創刊された。最盛期は福岡市を中心に15万部を刷り、夕刊時代は日曜日に「日曜朝刊」を発行していた。フクニチ新聞社は全国で最も給与の高い新聞社として知られ、500人以上の社員を抱えていた。1964年(昭和39年)9月、読売新聞の九州進出に伴う新聞の販売競争激化で、次第にシェアを減らしていった。1978年(昭和53年)10月1日、朝刊紙に移行。1992年(平成4年)4月休刊。宅配エリアは福岡市を中心とした福岡都市圏と久留米市を中心とした筑後地方が主で、北九州市や筑豊では駅売りのみの販売であった。関連紙にフクニチスポーツというスポーツ新聞もあったが、これもフクニチ新聞の休刊に伴い1992年で休刊している。本社は創刊当初は福岡市中央区天神の西日本新聞社内にあった。その後、同市中央区今泉に建設された、輪転機を備えた自社ビルに移転、1989年(平成元年)、今泉の社屋の老朽化により同市博多区東那珂に新社屋を建設し、1992年4月の休刊まで本社として使用していた。また、フクニチ新聞社の輪転機では聖教新聞の委託印刷も行われていた。1990年(平成2年)4月17日福岡地裁に和議申請。その後労働組合を中心にした社員らによって自主発行を継続するも、1992年(平成4年)4月和議不調により破産申請がおこなわれた。破産管財人によって強制執行がおこなわれ全社員解雇となり、社屋より強制退去させられた。社員らは最後の新聞発行を管財人らに要請したが拒否され、自社設備による最終号発行が不可能となったが、状況を知った西日本新聞社幹部が決断し、西日本新聞社の全面協力により最後の新聞を製作発行してその歴史を終えた。最終号は一枚刷りの紙面で、1面は「当分の間休刊します」の大きな見出しと休刊についての経緯を読者に理解させるための記事、2面は番組表が掲載された。なお、休刊後かつての社員らが「福岡日刊新聞」の創刊を目指したが、実現出来なかった。最末期(1992年4月)のもの。

出典:wikipedia

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