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宮部みゆき

宮部 みゆき(みやべ みゆき、1960年12月23日 - )は、日本の小説家。東京都江東区生まれ。日本推理作家協会会員。日本SF作家クラブ会員。雑誌幻影城ファンクラブ「怪の会」元会員。OL、法律事務所、東京ガス集金課勤務の後、小説家になる。1987年、「我らが隣人の犯罪」でデビューする。以後、『龍は眠る』(日本推理作家協会賞受賞)『火車』(山本周五郎賞受賞)『理由』(直木賞受賞)『模倣犯』(毎日出版文化賞特別賞受賞)などのミステリー小説や、『本所深川ふしぎ草紙』(吉川英治文学新人賞受賞)『ぼんくら』などの時代小説で人気作家となる。ほかに、ファンタジーやジュブナイルものの作品がある。1960年12月23日、東京都江東区深川のサラリーマン家庭に生まれる。母方の祖父は木場の川並職人、父親も職人的な仕事である。深川で母方では自分で4代目の下町に育ち、現在もそこで部屋を借り、仕事場にしている。小学校2年生で父親が買ってくれた『杜子春』を1日で読む。その後は移動図書館で借りて読み、『人形の家』ルーマー・ゴッデンや『ドリトル先生』シリーズを愛読した。父から、落語や講談の怪談噺を聞かされ育った。父はテレビ時代劇も大好きで、一家で大河ドラマを観て、自分もファンになり、特に中学1年生で『国盗り物語』にはまり、再放送も観て複雑な人間関係や時代背景、そして戦国時代の基礎知識を学習した。『草燃える』で鎌倉時代を同様に学習する。また父に倣い原作の時代小説を読み、永井路子のファンとなり、他の小説も読む。山本周五郎の『赤ひげ診療譚』と他の小説も同様の経緯で読んだ。映画好きの母からはハリウッドの黄金期の映画、例えば『恐怖の報酬』、『鳥』、『サイコ』などの話を、ビデオがない時代なので、子供時代からずっと語りかけで聞く。また、中学校の図書館の『世界の名作怪奇館シリーズ』にはまり、高校生にかけては英米の怪奇小説にはまり『幻想と怪奇』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)、『怪奇小説傑作集』(創元推理文庫)、アンソロジー『怪奇と幻想』(角川文庫)、荒俣宏・紀田順一郎監修『怪奇幻想の文学』シリーズ(新人物往来社)などを公立図書館で借りて読む。小中学校ではずっと、作文で褒められたことがなかった。小学4年生の時には読書感想文を「感想でなく本の宣伝文だ」と直させられたことさえあった。しかし、高校3年生の時の担任で国語の先生に、宮部は人に読ませようとして書いているから、小説家やライターになれるかもわからない、と初めて褒められた。江東区立深川第四中学校を経て東京都立墨田川高等学校を卒業する。卒業後、3年間のOL勤務の間に裁判所速記官試験(現在養成中止)に不合格、中根速記学校で速記を学び速記検定1級を取得する。その後、法律事務所に5年間勤務し、和文タイプライターのタイピストを担当したが、23歳のとき、ワープロ購入をきっかけに小説を書き始める。ワープロが発売され、自分も練習しなければと購入して勤務後に家で始めたが、突然何かを打ち始めそれが止まらない。やがて打っているのが小説だと分かった。それが続いて毎晩深夜まで睡眠時間を削り打って腕まで痛くなってくるほどで、親にも叱られたが止まらない。それが最初の習作の小説で、「ミヤベミユキという小説家はワープロ様抜きでは生まれなかった」と記している。ただし発表されていない。法律事務所は新宿歌舞伎町にあり、顧問になっている店も風俗店が多かったが、それで知ったことは直接には書いていない。5回の破産企業の管財人就任の時以外は、空き時間が多く、留守番時には速記のアルバイトも許され、『判例時報』などもかなり読んでいた。その後、雑誌広告で知った講談社フェーマススクール・エンタテイメント小説作法教室に1984年から1年半通い(高額授業料のため期末まで残り、半年は各回打上のみ参加)、山村正夫、南原幹雄、多岐川恭の講師と石川喬司、阿刀田高のゲスト講師に学ぶ。まだ、プロになるなど思っていなかった。同教室の1989年の受講生に、篠田節子がいる。小説教室の仲間に勧められ、試しにオール讀物推理小説新人賞に応募し、3回目の1986年候補になり、夏樹静子に励ましの評価を貰って、小説家への道が見え、意欲が初めて湧く。翌1987年にオール讀物推理小説新人賞を受賞し、短編「我らが隣人の犯罪」でデビューする。多岐川恭に「仕事を辞めないこと、次作が載らず、なかなか本が出なくても書き続ける、健康に注意」と助言される。長編依頼をもらい、時間拘束のきつい法律事務所を辞め、自由のきく東京ガスの集金人を2年間務める。2年半かけて1989年2月に東京創元社『鮎川哲也と十三の謎』の第5回配本『パーフェクト・ブルー』が初出版される。同年に専業作家となり、『魔術はささやく』を書き、1989年日本推理サスペンス大賞を受賞する。『龍は眠る』(綾辻行人と日本推理作家協会賞を同時受賞)などの超能力を扱った作品が多かったが、1992年に発表した『火車』は、クレジットカードローンによる多重債務問題を描き出し、山本周五郎賞を受賞した。ミステリーではその後、『理由』で直木三十五賞、『模倣犯』で毎日出版文化賞特別賞、『名もなき毒』で吉川英治文学賞を受賞した。『模倣犯』の後で現代の闇を描くことに疲れて、時代小説やファンタジーを重点に書く。時代小説では、江戸に住む人々の人情を描き、吉川英治文学新人賞を受賞した『本所深川ふしぎ草紙』や、超能力ものの『霊験お初捕物控』、深川を舞台にしたミステリー『ぼんくら』『日暮らし』などがある。テレビゲームが趣味であり、PlayStation 2用ソフト『ICO』を宮部から申し出て小説化した作品がある。『ドリームバスター』、劇場用アニメ化された『ブレイブ・ストーリー』などのファンタジー小説もある。大量殺人を忌避する気持ちから2010年初めて恋愛も登場するノンミステリーの青春小説『小暮写真館』を書く。2012年、『ソロモンの偽証』が3部作、原稿用紙4700枚という超大作として話題になった。大沢在昌の主宰する事務所の大沢オフィスに京極夏彦とともに参加し3人の共同出資の「株式会社大沢オフィス」を設立している。オフィスの公式サイト名は3人の姓から1字ずつとって「大極宮」と命名した。コードネームは「安寿」。また、2005年夏公開の映画『妖怪大戦争』のプロデュースチーム「怪」の一員にもなった。1995年、自身が語ったところによると、書き始めたころからの、どこからかストーリーが下りてきてワープロが書いているような感覚が続いていた。知人に、「いつもワープロにしめ縄を張って拝んでいるのでは」と言われた。人物設定でも、『火車』の「休職中の刑事」でも、考えたわけではなくて、そういう人として出てきた。でも、最後に犯人が出てくる小説を書くという基本設定や大阪球場内の住宅展示場を舞台になど自分で考えた。小説の世界が別にあって、そこから人物だけ引っ張ってきているから、背景が自分のものになっていなくて当時はシリーズが書けないと思った。いろいろ私事や体調などでアンテナの感度が悪くなると、何もキャッチできなくなりたちまちスランプになった。初期の1992年から2001年にかけて、多くの連載が中断され、未完のままとなっている。他の作家のように、連載で問題があっても後で加筆修正し、完成させることができないでいる。これは全体に共通するが、作品の多くは、タイトルとラストの3行、時には2ページくらいは決まっている。そういうラストストックが数本コルクボードに貼ったり、データや頭の中の画像としてある。タイトルが決まらないと書けない。冒頭から書いていき、途中考えたことが何か所か浮かんでいて、その間とラストまでを作り書いていく。これも、重要な部分だけ決定している時と、タイトルを決めた段階で細部まで設定している場合の2パターンある。人物の顔は、空想を限定するので書かない。誰から見ているのか視点を大切にする。説明は極力せず会話で表す。「視点にブレがなく、だれが本当のことを言って、誰が嘘ついているか、調べてみなくちゃわからないというルール」なら私にはミステリーだと定義している。2002年の段階では、執筆に対して一定の自己コントロールができるようになった。取材は簡略な方である。今は警察や日本銀行本店本館の取材にも行ったが、ロッカーの名札の順番や湯呑みを置く順序、日銀も給湯室や掃除道具置き場など日常を表す場所を注意して見る。そういう場所を書いて作品に親しみやすくする。普通の人は書けるが、周りにいないスターなど書けないでいる。特に国会議員や秘書、中央官僚などは取材しても書けないだろう。時代小説では、年代を固定化したくないので有名人を出さない。特に『三島屋変調百物語シリーズ』は、江戸後期の設定だが、幕末になると不得意なので、長年にわたる話だが時代を進めないように努めている。アイデアは仕事場で机に向って考え思いつく。他の人と違い、息抜きの場では何も浮かばない。仕事場以外では作業できない。パソコンでは原稿用紙縦型レイアウトを使用して1枚分しか表示せずプリントアウトして赤入れして直す。パソコンはインターネットに接続しておらず、調査に使わず、メールアドレスも持たず、ワープロ専用機として使用している。最後の勤務2年間の東京ガス集金課の、料金の取り立てで社会の各層を見聞きしたことが、直接に参考になっている。インタビューで「小説教室で作家になって、"だったら私もなれる" と誤解させる罪作りな作家だ」と言われて少し愕然とする。文芸部にも入ったことがなく、同人誌もしていない。経験もつてもなく、小説教室に行くしかなかった。年配のプロを目指す人の中で、自分は初めてで最初はダメだったが、感想を言ってもらっただけでうれしかった。大極宮での「作家になる方法」の質問には、まず書くしかないし「人が書いていないものを書く」、後は運任せの厳しい世界だ、と答えている。「」内が宮部みゆきの作品

出典:wikipedia

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