『ズバリ!当てましょう』(ズバリあてましょう)は、1961年8月5日から1972年2月12日まで(第1期)と1975年10月4日から1982年3月27日まで(第2期)フジテレビ系列局ほかで放送されていた視聴者参加型クイズ番組である。正式名称は『ナショナルプライスクイズ ズバリ!当てましょう』(後に『プロ・アマ対抗 ズバリ!当てましょう』→『Nationalファミリークイズ ズバリ!当てましょう』となった)。松下電器産業(現社名:パナソニック)提供。提示されたものの値段をノーヒントでズバリ当てることが課題である。ズバリ一発で当てると「ズバリ賞」として当時で100万円相当のナショナルの電化製品一式が賞品としてもらえた。放送開始当時はいわゆる家電ブームの真っ直中であり、当時の給与水準、物価から考えると破格の商品、いわゆる「高嶺の花」であった。また、正解でなくても、「内輪で一番近い方は?!」とみなされた解答者には問題となった品物がプレゼントされる。そして、最終的にトップ賞になると、ナショナルの電化製品一品(ズバリ賞で出される賞品の中から好きなものを一品選べる)がプレゼントされる。また第1期末期(1970年前後)にはトップ賞の出場者は翌週も出場し、3週連続トップになるとナショナル製品一品の他に「世界一周旅行」が贈られたが、1971年10月に公正取引委員会の規則改正で「賞金・賞品の上限は100万円まで」となったため、同年9月限りでこのルールは廃止された。スタジオに展示されていたナショナルの電化製品一式には白物家電(冷蔵庫、掃除機、電子レンジ、トースター、洗濯機、アイロン、照明スタンドなど)、テレビ(家具調タイプとパーソナルタイプの2種類)やオーディオ(ステレオコンポ、ラジカセ)などのAV機器、自転車が置かれていた。「内輪で一番近い方は!?」というフレーズのきっかけともなった番組で、これは当時の流行語にもなっている。オープニングで「明るいナショナル」(作詞・作曲:三木鶏郎)が歌われ、オープニングの最後に「丈夫で豊かな暮らしを広げる松下電器がお送りする、ナショナルプライスクイズ・ズバリ!当てましょう」と言うアナウンスが入った。引き続いて解答者席横のドアをバックにタイトルロゴと放送回数のテロップが映し出されながら「ズバリ!当てましょうのテーマ」が流れた。第2期では、四角い箱からカラフルな丸い玉がでできて、最後は「?」マークを形作るオープニングアニメが流れた。スポンサーの松下電器(当時)がテレビ受像器を製造・販売している事から、当番組はカラー化・ステレオ放送化も早かった。まず1967年2月11日に初めて(恐らく試験的に)カラーで放送。(その回のタイトルは「カラーで当てましょう」)。フジテレビの自社制作番組では初めて、カラーカメラ・VTRを使用した番組である。翌々週の2月25日からは、毎週カラー放送となり、フジテレビの音声多重放送開始から半年後の1979年4月14日にステレオ放送も行われた。ステレオ放送開始以降、シンキングタイム、ファンファーレなどのBGMはダン池田とニューブリードによる生演奏となった。しかしこの際に「バリバリズバリと当てましょう」と言う部分のコーラスが消滅した。この頃は番組のセットが2段になっており下段は解答者席が左右2つに分かれ、中央に登場口がある。一方、上段はダン池田とニューブリードがいるバンドステージとなっていた。1979年12月には初代司会者の泉大助が降板。翌1980年は司会者がその前までチームキャプテンだった出門英に変更して以降、司会者の変更などリニューアルを繰り返していた。年数回、スタジオを離れ、地方での公開収録も行ったが、1982年3月に番組は終了した。前述の通り、第2期は1979年4月14日からステレオ放送を開始したが、同時に内容も大幅に変え、2チームの対抗戦となった。そのチーム編成は、前期は芸能人2チーム対抗戦(当初のキャプテンは鈴木ヒロミツ・辺見マリのコンビ。進行役的なポジションでもあった)だったが、「プロ・アマ対抗 ズバリ!当てましょう」となってからの後期は、ハナ肇率いる芸能人チーム「プロ・チーム」と、一般視聴者チーム「アマ・チーム」との対抗戦となった。そしてクイズ内容は次の3種類となる(後に一部変更)。こうして最高得点を稼いだチームが優勝、松下製品の中から一品貰える。「ズバリ!当てましょうのテーマ」作詞:山上路夫、作曲:いずみたく、歌:不明(第1期・前期)、キューティーQ(第1期・後期)第2期の末期の音楽は服部克久が担当していた。1961年8月5日 - 1972年2月12日 、1975年10月4日 - 1980年12月 1981年1月 - 1982年3月27日 : 丸囲みの中に「ズバリ!当てましょう」が入っていた。放送開始当初はフジテレビ系列局を中心に、系列が無かった地方ではその地方で最初に開局した局(親局がVHF波で放送されている局が殆ど)で放送された。後に、地方でフジテレビ系列局が続々と開局していったが、新規に開局した局がUHF局であり、当時はUHF受信対応テレビがほとんど普及しておらず、多くの視聴者に番組を見てもらいたい(物理的な視聴者の減少を懸念した)スポンサーの松下電器の強い意向もあり、ネットの移行はスムーズには行われず、系列局がある地域でも最後まで放送された地域もあった。系列は現在の系列。○は現在他系列局だが、放送当時フジテレビ系列局や他系列とのクロスネットだった局。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。