木更津海軍航空隊(きさらづかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊の一つ。鹿屋海軍航空隊と同時に開かれた日本初の陸上攻撃機部隊として、日中戦争序盤・中盤と太平洋戦争序盤は爆撃・攻撃・偵察行動に従事した。1942年(昭和17年)11月1日に第七〇七海軍航空隊(だい707かいぐんこうくうたい)と改称し、翌12月1日に七〇五空へ編入されて解隊した。平時には東京を含む東日本の防空を担当し、戦時には最前線基地から長距離攻撃を実施する外戦作戦実施部隊として、西日本を担当する鹿屋海軍航空隊と同時に開かれた。木更津飛行場は東京湾を埋め立てて造成したもので、多くの陸攻隊・陸爆隊が所属基地に帰る間もなく木更津での練成に励んでいる。木更津を原隊とし、木更津で編成された生粋の木更津部隊は、この木更津空・七〇七空のみである。 美幌海軍航空隊・元山海軍航空隊・第一航空隊・三沢海軍航空隊要員を養成。 別働隊4機は南鳥島に進出、小笠原諸島東方沖の哨戒・対潜攻撃に従事。4月の現役復帰以来タッグを組んできた七〇五空へ編入され、史上初の陸攻部隊は編制表の上からは消滅した。七〇五空は1943年(昭和18年)夏に撤退するまで、なおもラバウルに留まって外南洋の激戦に従事した。七〇七空の解散後も木更津飛行場は拠点基地として機能し、多数の陸攻・陸爆隊が活用した。戦後は米軍の駐留を経て1956年(昭和31年)に航空自衛隊木更津基地が間借りする。1961年(昭和36年)に米軍は立川飛行場に転出し、航空自衛隊が占有するが、1968年(昭和43年)に入間基地に転出。入れ替わりに陸上自衛隊が転入して木更津駐屯地となり、現在に至る。日華事変勃発時には、九五式陸上攻撃機を混用し、激しい消耗に対応するために旧式戦闘機を臨時に組み入れた。
出典:wikipedia
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