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ハロルド・ロイド

ハロルド・クレイトン・ロイド・シニア(Harold Clayton Lloyd, Sr., 1893年4月20日 - 1971年3月8日)は、アメリカ合衆国のコメディアン。1920年代を主に活躍したサイレント映画の大スターで、日本ではチャーリー・チャップリンやバスター・キートンと並ぶ「世界の三大喜劇王」と呼ぶことが多い。子役、エキストラを経て、約200本近くの映画に出演。多くの作品にカンカン帽にセルロイドの丸ぶち眼鏡という独特のスタイルで登場した。都会的な一好青年によるドタバタ喜劇というのが特徴で、気弱な主人公が、いざ恋する女性のために一念発起、大奮闘する姿がよく描かれた。この丸ぶち眼鏡を通称"ロイド眼鏡"というのは、彼にちなんでいる。友人でもあったプロデューサーのの下、1915年、ロンサムリューク(まだ眼鏡をかけておらず、チャップリンが創作したキャラクター"The Tramp"に酷似)という不恰好で狡猾なキャラクターで売り出した。ビーブ・ダニエルズ、スナップ・ポラードという共演者を得て、1917年、『ロイドの野球"Over the Fence"』で初めてグラスキャラクター"The Boy"になった。向こう見ずなキャラクターに変わりはないが、1919年までにアイデアに富む目まぐるしいドタバタを展開した。ただ荒々しいだけではなく、感情的にも共感できることがほしいということで、その作品も徐々に観客の心を掴むよう工夫された。驚いて「髪が総毛立つ」というギャグを、風を顔に当てて表現するなど、漫画的な映像表現を積極的に採り入れたりもした。1919年、相手役を可憐なミルドレッド・デイヴィス(1923年にロイドと結婚)に代え、短編から中長編へと乗り出す。1920年製作の『ロイドの化物退治』撮影中、小道具の爆発事故により右手の親指と人差し指を失くし、それ以降は義指着用となった。『要心無用(1923)』の有名なビルディング・アクションも、義指をつけての演技である。その後、傑作『豪勇ロイド(1922)』や、『猛進ロイド(1924)』を発表。1925年にはチャップリンの『黄金狂時代』を、同年の『ロイドの人気者』で興行成績を上回った。相手役も名花ジョビナ・ラルストンに代わり、一年に一本の割合で長編作品を作り続けた。尚、大正中頃から昭和初期にかけての日本でも、明朗快活でモダンなロイド喜劇は一世を風靡し、巨匠・小津安二郎監督などにも影響を与えている。小津作品の『大学は出たけれど』や『和製喧嘩友達』のセットにロイド作品のポスターが使用されている。サイレント時代のスターが、徐々にそのトーキーシステムに乗りきれず(声が悪かったり過剰演技)凋落していくなかで、アクションが売りだったロイドも、また苦境を迎えていた。人気は以前のように持続できなかったが、主演する映画はそれなりにヒットしている。また彼は商才に長けていたため、自分のフィルムを後々まで手許に残し、再び脚光を浴びる機会を窺っていた。彼の死後、タイムライフ社がその権利の一部を買い取り、頻繁にテレビでも放映された。(日本では1970年代に「ロイド小劇場」〔NHK〕として)。1952年、ロイドはコメディアンの巨匠、及びよき市民としてアカデミー特別賞を授与された。晩年は、趣味でもある写真工学の研究に励み、3Dで撮ったストリッパーや、マリリン・モンローの写真が遺されている(孫娘スザンヌ・ロイドが10万点の中から厳選した写真集が2004年に出版された)。1971年3月8日、前立腺癌により77歳で死去。2008年、ロイド全盛期の傑作がDVD-BOXとしてリリースされ、リマスターされた良質な映像で観られるようになった。

出典:wikipedia

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