


レーザーディスクゲーム(Laserdisc Video Game)は、映像表示にレーザーディスクを使用した、テレビゲームのジャンルの一つである。一般に略してLDゲームと呼ばれる。1983年に誕生した。特殊な仕様が必要とされる事から大部分は業務用の大型筐体ゲームである。家庭用製品として、パイオニアが1984年に発売したpalcom(パイオニアのLDを搭載した高級MSXのブランド)と、1993年に発売したレーザーアクティブ(LD-ROM²、MEGA-LD)が存在する。1990年代半ば以降、CD-ROMの採用などで動画再生が容易になった家庭用ゲーム機(メガCDやプレイステーションなど)に移植された作品もいくつかある。筐体の内部に、通常のテレビゲームに必要な基板やモニター以外に、レーザーディスクとそのプレイヤーが内蔵されている。この大きさから汎用筐体ではなく、当初は大形筐体やコックピット型筐体として製造された。ゲームの進行にあわせ、通常のテレビゲームは電子回路から送られるグラフィックをテレビ画面に出力するのに対し、LDゲームはレーザーディスクに収録された、長時間に渡る実写やアニメーションの映像を表示、場合によっては前述のグラフィックを重ねる。このため映画やテレビアニメなど版権物のゲーム化も多い。当時のビデオゲームのグラフィックでは不可能だった、細かく美しい映像が表示される。ビデオテープなどのテープメディアと違い、頭出ししたい場所をすぐ出せるというディスクのメリットを活かし、プレイヤーがゲームの進行にあわせてジョイスティックやボタンを搭載したコントロールパネルを操作すると、該当する別カットの映像をすぐに表示、画面表示の切り替えも違和感無く進める事ができる。こうした仕組みの関係上、メーカーが同じなら再生用のディスクとコントロールパネルさえ交換すれば、別のゲームへのコンバートも比較的簡単であり、アーケードゲーム基板に順ずる互換性も持ち合わせている。なお、LDプレーヤー本体とリモコンのみで遊べるテレビゲームの範疇に属さないレーザーディスクゲームも存在し、パイオニアLDCから1982年から1983年に『ミステリーディスク 殺人はいかが?』『ミステリーディスク 殺しの迷路』などの推理ゲーム、東芝EMIからは1985年に『超時空要塞マクロス SFチャレンジゲーム』といったソフトがリリースされている。リモコンのチャプターサーチ、フレームサーチで選択肢を選んで入力するというゲームブックに近いシステムだった。後にミステリーディスクシリーズは、MSXパソコンを用いたLDゲームシステムへ1984年に移植された。関連づけられるべき存在として、任天堂レジャーシステムの『EVRレース』(1975年)、関西精機製作所の『ザ・ドライバー』(1982年)、ナムコ(後のバンダイナムコゲームス)の『ギャラクシアン3』(1990年)が存在する。任天堂と関西精機製作所の方はフィルムを使用したゲームで、開発したメーカーと内部メカニックの構造の経緯でビデオゲームではなくエレメカとして認識されている。ただし、相違点は映像ソースがフィルムかLDかだけで、後に米国のブレントレジャー社が発表した『ストリートバイパー』(1993年)と殆ど変わらず、広義に捉えればビデオゲームのカテゴリーに属する事も出来る。撮影は全て東映が行っている。後者は1990年に開催された国際花と緑の博覧会(EXPO'90)のために開発された世界最大28人同時プレイ可能なシューティング・ビデオゲーム機で、当時出始めたばかりのポリゴンによる3DCGが360度のスクリーンに映し出されるが、当時のゲーム基板の性能ではそれだけの映像をリアルタイムに映し出すことができず、自機(ガンナー)や一部の敵のみをリアルタイムとし、その他の背景映像や敵をあらかじめ映像を記録した複数台のLDで同期再生させていた。のちに普及版として16人乗り、6人乗りの小型版筐体も開発されたが、それらも同様に背景画像はLDで処理していた。LDゲームの登場当時は、非常に綺麗な映像を使えるビデオゲームとして、大いに期待されたが、実際の人気は短いものとなった。パイオニアの社史では、1983年後半から1984年初頭にかけてアメリカで大ブームになったものの、需要にあてこんで製造したLDプレーヤーが急激な冷え込みによって過剰在庫になり同社は赤字に陥ったとされている。衰退の理由としては以下の要素が挙げられる(#参考文献参照)。ただしアメリカでは、日本に比べ独創的なゲームが好まれる傾向があるために、大ヒットのジャンルとなり、その後も1990年代前半までLDゲームが出ていたケースが見られた。ビデオゲームのグラフィックの表現力が向上し、また、それ自身がビデオメディア無しでも動画が容易に扱えるようになったことで、LDを使用する必然性はなくなり、更にLD自体が衰退してLDプレーヤーが1990年代を最後に新商品の開発自体がなくなったことにより、1990年代後半にはアメリカでも新作がリリースされず市場から消えていくことになった。1993年には家庭でLDゲームが楽しめる家庭用ゲーム機としてレーザーアクティブなども発売されたが、LDと同等の映像表現が可能で、しかも安価で取り扱いに優れたCD-ROMを採用した家庭用ゲーム機の普及によって、1990年代中盤にはゲーム用メディアの主流は完全にCD-ROMに移った。しかしその後も「映像に合わせてタイミングよく特定のボタンを押す」という要素はいくつかのゲームで踏襲され、現在はQTE(Quick Time Event)などと呼ばれている。LDゲームの一部は、アマチェアを中心とするアーケードゲームコレクターにより保存されている。しかし、通常の汎用筐体用アーケード基板と異なり、前述通り特殊な仕様とサイズを必要とするため、大形筐体や体感筐体同様、かなりコアなコレクターでなければ保有出来ない。メディアにDVD-ROMを採用したハードが主流となる2000年代には、技術的にはLDゲームの完全移植も可能となったが、前述の通りLDゲームは酷使に弱いハードであったことや、レーザーディスクの劣化の問題などもあって後年まで現存する基板が少ないため、ある程度の有名作品であっても現行ハードへの完全移植が絶望的な作品も多い。前述通り予想外のつまづきが大きかったため、アーケードの衰退が日本より一歩早く始まっていたアメリカでは、LDゲームの失敗で傾いたゲームメーカーも多い。なお以下の★印が付けられたゲームは、実写やアニメなど版権物作品のLDゲーム化である。他にも日本物産や三木商事、セイブ開発(CATS名義)による実写動画による脱衣麻雀も、広義に解釈すればLDゲームのジャンルとして捉える事も出来る。ただし実際に脱衣麻雀にレーザーディスクを媒体として使用したのは日本物産だけである。セガからのライセンス作品については#セガを参照。以降は映像媒体にLDでなくDVDを使用する様になった。
出典:wikipedia
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