亀山 努(かめやま つとむ、1969年7月2日 - )は、鹿児島県奄美大島出身(生まれは大阪府大阪市港区)の元プロ野球選手(外野手)。現在はタレント業の傍ら、毎日放送の野球解説者、スポーツニッポンの野球評論家を務める。マネジメント契約先はスポーツビズ。愛称は亀ちゃん。あるいは亀さん、亀。、阪神に入団。背番号67。弟・忍も投手として同テストを受験するが不合格。に外野手に転向し、初の一軍昇格。ウエスタン・リーグ首位打者・盗塁王。2年連続でウエスタン・リーグ首位打者。は背番号00に変更し、一軍定着。新庄剛志と共に「亀新フィーバー」を巻き起こし、チームの躍進に貢献。5月6日の対巨人戦(甲子園)で、2-2で迎えた9回裏2アウト一塁、桑田真澄の速球をバットを折りながら右中間へ弾き返し、一塁走者の和田豊が一気に生還しサヨナラ勝ちとなる。ヘルメットを空中に放り投げ、「背筋が寒くなった」とコメントした。、シーズン中にヘッドスライディングキャッチで右肩脱臼。シーズンの大半を棒に振る。、開幕右翼手でスタメンだったが、三塁のトーマス・オマリーが守備難で一塁へ、一塁だった新外国人選手のロブ・ディアーが右翼手へ、左翼手にはオリックスからFA移籍してきた石嶺和彦がいたため5月以降はしばらくは控えだったが、ディアーが不振で入れ替わる形で右翼手のレギュラーに復帰。復帰後は規定打席には到達できなかったが自己最高の9本塁打を記録安定した活躍を見せた。は開幕早々、守備で同僚のグレン・デービスと衝突し腰椎骨折。以降ほとんど一軍出場なしに終わる。に戦力外通告を受ける。最後の試合でもヘッドスライディングをしてプロ野球ファンをあ然とさせた。その後、近鉄の佐々木恭介監督の強い誘いを受け、秋季キャンプにテスト生として参加。佐々木はフロントに亀山の獲得を進言したが、保有選手数に余裕がないことを理由にフロントがこれを却下した。他球団のテスト受験も考えていたが、時期的にどの球団も受け入れられる状態ではなく、復帰を断念し28歳の若さで現役引退。その後、タレント業の傍ら、少年野球チーム・枚方リトルの監督に就任。1999年に枚方リトルを少年野球世界大会優勝に導く。2001年からは、プロ野球マスターズリーグ・大阪ロマンズに参加。数年に1回のペースで開催される巨人対阪神OB戦でも、阪神OB会の若手として活躍している。枚方リトルの監督を退任した現在は、本人曰く「大阪府の南部に在住」とのこと。毎日放送の野球解説者として、MBSラジオや関連会社のGAORAで複数のレギュラー番組を持つ。特に、毎年2月には、阪神および北海道日本ハムファイターズが沖縄県内で実施する一軍の春季キャンプを1ヶ月にわたって密着取材。その期間中には原則として、滞在先からレギュラー番組へ出演している。また、『亀山つとむのかめ友 Sports Man Day』(MBSラジオ)で森島寛晃(セレッソ大阪アンバサダー、元・サッカー日本代表)を「かめ友」(スポーツ関係者によるレギュラーゲスト)に迎えたことを機に、FM長居(長居スタジアムでセレッソ大阪が公式戦を実施する場合に放送する場内FM)の番組にもたびたび登場。サッカー以外にも、森島以外の「かめ友」(大畑大介や竹下佳江など)を通じて、関心の幅をスポーツ全般にまで広げつつある。鹿屋中央高校から1987年のドラフト外で阪神タイガースに入団。入団時のポジションは内野手(三塁手)であったが、後に外野手へコンバートされ、ウエスタンリーグでは2年連続首位打者になるなど一定以上の成績を残し、1軍では一時期ライトの定位置を獲得。一塁への果敢なヘッドスライディングを見せ、「平成のスライディング王」の異名を取った。しかし、目覚まし時計を同時に10個以上鳴らしても防げなかったという寝坊による常習的な遅刻癖等でも物議を醸し、結局、成績低下とが重なりそのまま引退。それは当時から甘いマスクでありながらも肥満の傾向があったことと、学生時代にやったケンカによる鼻中隔湾曲(その後手術で治療)を持っていたことによる睡眠時無呼吸症候群を発症していたためであるとも言われる。現役引退後の1998年からはタレント・毎日放送の野球解説者に転向し、本名から「亀山 魁斗」へ、さらに、現在の「亀山 つとむ」(努をひらがな読みにした)へと芸名を変更。タレント・俳優の亀山忍は一卵性双生児の弟で、兄弟2人揃って鹿屋中央高校調理科に在籍していたことから、調理師資格を有することでも有名。努自身、現役時代「プロ野球選手になっていなかったら餃子の王将に就職するつもりだった」と語っている。なお、現役引退後は急激に体重が増加しており、2005年11月の時点では現役当時より44kg増の120kgであったが、2007年2月現在は105kgと15kgを減量している。ちなみに弟・忍は現在公称体重105kgであるが、見た目はやせており、現役引退後に兄弟の見た目が逆転している。以下はいずれもMBSラジオの番組以下はいずれも、MBSラジオで放送された番組。
「亀新フィーバー」と称された1992年に亀山への複数の出演依頼を阪神球団は受けるも、新庄剛志へのものと共に「野球への専念」を理由に辞退する(民間企業からの依頼は辞退するも、新庄は官庁のCMには出演する)。
出典:wikipedia
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