『北陸代理戦争』(ほくりくだいりせんそう、"Proxy War in Hokuriku" )は、1977年の日本映画。98分。製作:東映。福井市にある暴力団 富安組の若頭・川田登は、組長の安浦が競艇場利権を譲渡する約束を破ったため、安浦をリンチ。おびえた安浦が弟分・万谷を介して大阪浅田組・金井に相談したため、金井は手打ちの仲介名目で北陸進出にのり出すことになる。深作欣二の実録映画最終作。福井市・三国町・敦賀市・輪島市・金沢市を舞台に、関西・名古屋を巻き込んだ地元ヤクザの抗争を描く。残虐さと救いのなさが描かれ、ラストには「俗に北陸三県の気質を称して越中強盗、加賀乞食、越前詐欺師と言うが、この三者に共通しているのは生きるためにはなりふり構わず、手段を選ばぬ特有のしぶとさである」のナレーションが流れる。昭和52年(1977年)4月13日午後1時5分、本作品の主人公のモデルとなった川内組の組長・川内弘が地元の喫茶店で射殺された(三国事件)。深作が実録路線から撤退したのは映画封切後、まもなく発生した三国事件のためともいわれる。深作は撮影後に川内から手紙を受け取っている。竹井役は渡瀬恒彦が演じていたが、撮影中に雪中での自動車事故に遭い重傷を負ったため、急きょ伊吹吾郎に差しかわった。映画館で上映されていた予告編では渡瀬の出演するシーンがある。当初は『新仁義なき戦い』シリーズの一編として制作が予定されていたが、同シリーズを主演していた菅原文太が出演できなくなったため、別作品として制作・公開された。深作は「彼(菅原)も飽き飽きしていたんじゃないですか」と回顧している。本作は現在進行中の抗争を映画化し、映画の製作が原因でモデルとなったやくざを刺激した。飛び交う雑音を無視して東映の岡田茂社長(当時)が「こういう生々しいのはええ」と製作を推し進めさせたといわれる。しかし福井県警の干渉を受けたり、大雪で撮影が難航したり、前述の主役、準主役の交替など撮影時から多くのトラブルにも見舞われ、「仁義なき戦い」というネームバリューを外されたこと、興行力のある菅原が降板したこと、客層が変化したことなどの理由で配収が2億円に届かない記録的な不入りとなったといわれる。しかし監督の深作、及び脚本の高田宏治は、その後ともに大作を任され、さらなる名声を得る。深作は「実録路線」を切り上げ、様々なジャンルの大作を手掛けた。高田は『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たちシリーズ』などの「東映やくざ女性映画」に繋げた。本作はその分岐点といえる作品であった。
出典:wikipedia
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