松山 猛(まつやま たけし、1946年8月13日 - )は日本の作詞家、ライター、編集者。京都府京都市生まれ。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。ザ・フォーク・クルセダーズおよびサディスティック・ミカ・バンドの黒幕的存在であり、イムジン河の作詞者でもある。後に、『ブルータス』その他の雑誌の編集を務め、常に日本の音楽およびファッションをリードしてきた。ザ・フォーク・クルセダーズのプロ・デビュー・シングルの『帰ってきたヨッパライ』の作詞を行い、大ヒットして、一躍、作詞家として大成する(なお、同曲はアマチュア時代のザ・フォーク・クルセダーズの自主制作盤アルバム『ハレンチ』に収録されている)。その後、加藤和彦やサディスティック・ミカ・バンドの作詞をまるごと担当し、「陰のフォークル」「陰のミカバンド」的な役割を果たした。さらに、アグネス・チャンなどの歌謡曲から竹内まりや、オフコース、井上陽水といったニュー・ミュージックのミュージシャンやテレビ・コマーシャルの曲の作詞も手掛ける。その後、編集者、ライターとして雑誌『平凡パンチ』、『POPEYE』、『BRUTUS』などで活躍。時計やカメラにも造詣が深い。ライターとしては、『少年Mのイムジン河』(木楽舎)、『ワーズワースの庭で』(扶桑社文庫)、『松山猛の時計王』(世界文化社)など多数の著書がある。雑誌『MEN'S EX』(世界文化社)では時計に関する連載記事を毎月執筆している。「帰って来たヨッパライ」がミリオンヒットとなったフォーク・クルセダーズは、松山が作詞した『イムジン河』を発売しようとする(この曲も『ハレンチ』に収録されている)。ところが、発売前に数回ラジオにかけた後、突如、レコード会社が発売中止として、さらに放送自粛的な雰囲気が広がった。松山は、コリア・タウンの周辺で育ち、幼少の頃から在日韓国・朝鮮人の友人たちがいた。しかし、通っていた中学校の生徒と朝鮮中級学校の生徒とはいがみあいが絶えず、サッカーの対抗試合を通じて理解を深め合おうと計画し、試合の申し込みにいったときに「イムジン河」を耳にする。その後、友人となった朝鮮中級学校の生徒から、この「イムジン河」を教えてもらったという。以上のような経過で「イムジン河」を知った松山を含めたザ・フォーク・クルセダーズのメンバーなどの関係者は、曲の由来を知らず、朝鮮民謡と思っていた。しかし、北朝鮮の国歌を書いた朴世永が作詞し、高宗漢が作曲した歌であった。松山が「イムジン河」を通じての朝鮮中級学校の交流は、『少年Mのイムジン河』という本にまとめられ、この書籍が大ヒットした井筒和幸監督の映画『パッチギ!』の原案となった。
出典:wikipedia
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