平井 一夫(ひらい かずお、1960年12月22日 - )は、日本の実業家、経営者。ソニー株式会社取締役、代表執行役社長兼CEO。ソニー執行役エグゼクティブ・バイスプレジデント(ネットワークプロダクツ&サービスグループ担当)、同代表執行役副社長、SCE代表取締役社長兼グループCEOなどを歴任。北米での居住歴が長く、流暢な英語を話す。銀行員だった父親の海外赴任に伴って、幼少期からアメリカやカナダなどの海外と日本とを往復する生活をしていた。日本の小学校にはほとんど通っておらず、中学3年の時にカナダから帰国した際にはアメリカンスクールに入学、その後にまた家族とアメリカに転居することになる。しかし、これまでの暮らしに対する反動から「日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたい」との思いを抱き、大学進学のために日本の親戚宅に単身で帰国し、アメリカンスクール復学を経て国際基督教大学に進学した。1984年に大学を卒業し、CBS・ソニー(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社。1995年5月、当時ソニー・ミュージックエンタテインメントとソニー・コンピュータエンタテインメント (SCE) で代表取締役副社長だった丸山茂雄に頼まれて、PlayStationの北米発売業務に参加。SCEの北米法人 Sony Computer Entertainment America (SCEA) に出向となり、SCEA上級副社長兼最高執行責任者 (COO)、SCE執行役員、SCEA社長兼COOを歴任した後、2000年からSCEAに転籍し2003年にSCEA社長兼最高経営責任者 (CEO) 、2006年にSCEコーポレート・エグゼクティブ グループEVP(エグゼクティブ・バイスプレジデント)に就任。2006年12月、SCEの代表取締役グループCEOだった久夛良木健の要請とソニーのハワード・ストリンガー会長の後押しを受け、SCE代表取締役社長兼グループCOOに就き、2007年6月19日には名誉会長に退いた久夛良木に代わりSCEグループCEOに昇任しSCEのトップとなった。2009年4月からは、SCEの役職と兼任する形でソニーの執行役EVPに就任し、自身初となるソニー本体での職歴をスタートさせる。SCEの事業も含まれる「ネットワークプロダクツ&サービスグループ」担当として、ソニーグループ全体のネットワーク商品事業を統括。2011年4月より代表権を持つ執行役副社長に就任し、同時にソニーの組織変更に合わせ「コンスーマープロダクツ&サービスグループ」担当として、ネットワーク関連に加えてテレビやデジタルカメラ等も含めた家電事業全般を統括した。2011年9月にはSCEの社長兼グループCEOを退いてSCE代表取締役会長となった。2012年4月には、ストリンガーの後任として、ソニーの代表執行役社長に就任し、同年6月27日の株主総会で取締役に選出された。2009年度の平の執行役時代の役員報酬は1億5100万円。社長就任後の2013年の役員報酬はフリンジ・ベネフィット含め2億180万円、2014年の役員報酬は3億5920万円、フリンジ・ベネフィット他で1100万円であった。久夛良木が「PS3はゲーム機ではない」と述べたのに対し、平井はゲーム機だと明言。後に「ノンゲームにも注力する」としている。また、久夛良木が世界各地の支社に自ら指示していたのに対し、平井は各自の独立性を高める方向性を打ち出している。ソニーのハワード・ストリンガー会長は、平井のSCE・CEO就任時に「北米での経験と手腕を活かし、SCEをさらに発展させ、新たな次元へと導くと確信する」と述べた。副社長昇格時から次期社長の最有力候補の一人と目され、2011年4月のPlayStation Network個人情報流出事件の影響が指摘されたものの、2012年2月1日、同年4月1日より社長兼CEOに就任することが正式に発表された。世界各国では「Kaz」のがある。PlayStationの父と呼ばれる久夛良木の後任だけに、。ゲームをするのは1週間に4、5時間である。
出典:wikipedia
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