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犬食文化

犬食文化(けんしょくぶんか、食犬とも)とは、食用として犬を飼育してその肉を食べる習慣、及び犬肉料理の文化の事である。中国、朝鮮半島、日本を含めた東アジア、東南アジア及びハワイ、ポリネシア、ミクロネシア、オセアニアなどの島嶼に於いて存在した。中国の一部の地域、ベトナム地域、朝鮮半島地域などの市場では、内臓を除去しただけのそのままの姿のものや小さく解体した形状などで犬肉が販売されている。調理方法は国によって様々である。一方、犬食を忌む地域もある。これには牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域と、西アジアのように食用動物に関する宗教上の忌避が存在する地域がある。また、19世紀以降は世界的に動物愛護の考え方が広まり、現代では伝統的に犬を食す地域での犬食に対し、外国等から批判が向けられることも見られる。中国の新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していたためである。黄河流域にも長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢の高祖に仕えた武将がかつて犬の屠殺を業としていたことからもうかがえる。しかし、狩猟や遊牧を主たる生業とする北方民族は、犬を狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全に寄与する生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。華北では、五胡十六国時代に鮮卑など北方遊牧民族の支配を受けた影響から、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級はペルシャ犬を愛好した。このため、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が進むに連れて犬食の風習は廃れていった。但し『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。2014年現在でも中国東北部・南部では犬肉を食べる習慣があり、広東省、広西チワン族自治区、湖南省、雲南省、貴州省、江蘇省等では、広く犬食の風習が残っている。江蘇省沛県や貴州省関嶺県花江、吉林省延辺朝鮮族自治州は犬肉料理で有名な場所である。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。広東省広州では「狗肉」(広東語カウヨッ)の隠語として「三六」(サムロッ)や「三六香肉」(サムロッヒョンヨッ)と呼ぶが、「3+6=9」で同音の「狗」を表した表現である。おおむね、シチューに似た煮込み料理に加工して食べられる。調理済みのレトルトパックや、冷凍犬肉も流通している。また、中国の広東省原産のチャウチャウは、国際畜犬連盟に登録された国際的に認知されている犬種の中で唯一、現在も食用として用いられている犬種である。古代よりの伝承では、黄(赤)、黒、花(斑模様)、白の順にうまいとされている。一般に、中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬によく消費されるが、広西チワン族自治区玉林市では、夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が行われている。しかし、中国でも犬肉を食べることへの批判は年々強まっている。中国広西チワン族自治区玉林市で、犬肉を食べる伝統の「犬肉祭り」をめぐり、愛犬家・人気女優が反対しており、食文化だと反論する食堂などとの間で大論争となった。玉林市は「10歩に一軒の犬肉料理店がある」と言われるほど、犬肉食が盛んな地域とされており、犬肉祭りだけで1万匹の犬が食用処理され、表通りでも犬をさばき、至る所に犬の死体が散乱しているなど、規模・残酷さで際立っているとされている。玉林市では犬肉とライチを食べる「玉林ライチ犬肉祭」が1995年から開かれていたが、本物の犬肉だと証明するために業者が客の目の前で犬を殺すため、愛犬家・著名人などから激しい抗議を受けるようになっていた。浙江省金華市では、犬肉祭をめぐって世論の批判を受け、2011年に600年以上続いていた「金華湖犬肉祭」が廃止されている。なお、香港では犬食に嫌悪感の強い英国の支配を受けたため、犬は「猫狗条例」により保護され、現在も犬肉の流通が解禁されていない。2006年12月22日に、香港で4人が禁を破って犬食を行ったため刑務所へ30日間拘留される事件があった。台湾では、香肉という呼び名で好事家の食文化として犬食が存在していた。1962年の映画『世界残酷物語』(グァルティエロ・ヤコペッティ監督作品)には、台湾の犬肉料理店が登場しており、檻に入れられた状態の食用犬にされる犬を見ながら、お客が食事をする一幕がある。しかし、2001年1月13日、動物保護法が施行され、食用を目的とした犬や猫の屠殺を禁じられた。2003年12月16日の改正において、販売も罰則対象に含まれるようになった。これ以降、それまでの犬肉料理店の多くは羊肉料理店に変わったが、客の需要に応え、犬肉を羊肉として売っていた羊肉料理店が摘発されるという事件がたびたび起こっている。朝鮮半島でも狗肉は新石器時代から食用とされており、犬食は今なおきわめて盛んである。韓国では犬肉を「(ケゴギ)」、北朝鮮では「(タンゴギ)」と言う(「ケ」は犬、「タン」は「甘い」、「ゴギ」は「肉」の意)。犬料理は、滋養強壮、精力増強、美容に良いとされ、陰暦の夏至の日から立秋までの「庚(かのえ)」のつく日の中伏(チュンブク)には、犬料理を食べて暑気を払う習慣がある。韓国には患者の手術後の回復のために犬肉を差し入れる習慣がある。犬市場としては城南市の牡丹市場が有名である。犬から作った犬焼酒(酒ではない)も飲まれている。黒犬には時別効能があるとされる。韓国の犬肉料理文化は、犬食の習慣を持たない国から問題視されることがある。韓国では、1988年のソウルオリンピック開催に際して、欧米諸国の批判をかわす為、犬食に対する取締りが行われたが、犬肉料理を愛好する人も少なくない為に大通りから遠ざけられて黙認された。2002年のFIFAワールドカップの際には、FIFAが「犬肉を追放してほしい」と韓国政府に要請してきたが、FIFAの副会長でもあるチョン・モンジュンは拒否した。2006年、韓国国務調整室が行なった調査によると年間200万頭の犬が食べられていた。2008年の調査によると、ソウル市内だけで530店の食堂が犬食を扱っている。違法のため、当局による衛生管理が行なわれておらず社会問題化している。2008年4月には、ソウル特別市当局が正式に犬を嫌悪食品とする禁止令を撤廃し、食用家畜に分類する発表を行った。これに対し韓国国内の動物愛護団体が反発を強めている。動物愛護団体は城南市で狭い檻に入り犬食文化の反対運動を行なった。 朝鮮半島では韓国だけでも数百万頭の食肉専用に改良された犬種であるヌロンイが、牛や豚と同様の酪農家によって飼育されており、屠殺方法も電気ショックによるシステマチックな方法によるとされ、外圧による安易な犬食禁止は家畜として飼育されている食用犬を無為に全滅させかねない行為であると批判する識者もいる一方で、本来では食用品種ではない犬種、時には野良犬や明らかに愛玩犬であったと思われる犬などが、伝統的とされる撲殺などの残虐な方法で食肉に供されている例が今日でも存在すると主張する者もいる。なお、韓国の法制度では、犬は「家畜」として扱われておらず、犬肉の流通・販売は違法でも適法でもない不明瞭な状態となっている。北朝鮮においては、食糧難の中、数少ない蛋白源として犬肉は珍重されている。平壌観光のガイドブックには「朝鮮甘肉店」と記載され紹介されており、案内員に希望すれば朝鮮甘肉店へ連れて行ってもらうことも可能である。なお欧米の批判の影響を受けにくいこともあってか、平壌甘肉店は大通りに面した場所にある。犬は残飯を与えても育つので、家庭で小遣い稼ぎに飼われることがあり、中でも結婚資金を稼ぐために数頭の犬を飼う若い女性を「犬のお母さん」と呼ぶ。育った犬は自由市場で売買される。日本列島では、縄文時代早期から家畜化されたイヌが出現し、縄文犬と呼ばれる。縄文犬の主な用途は猟犬とされており、集落遺跡などの土坑底部から犬の全身骨格が出土する例があり、これを埋葬と解釈し、縄文犬は、猟犬として飼育され、死後は丁重に埋葬されたとする説が一般的になっていた。しかし、1990年代になって、縄文人と犬との関係について、定説に再考を迫る発見があった。霞ヶ浦沿岸の茨城県麻生町(現:行方市)で発掘調査された縄文中期から後期の於下貝塚からは、犬の各部位の骨が散乱した状態で出土し、特に1点の犬の上腕骨には、解体痕の可能性が高い切痕が確認された。。岩手県の蛸ノ浦貝塚など全国各地の遺跡から、狸だけでなく犬・狼・狐なども食べられていた事が判明している。弥生時代は、稲作農耕の開始に伴い大陸からブタやイノシシなど新たな家畜が伝来し、犬に関しても縄文犬と形質の異なる弥生犬がもたらされる。弥生時代は犬の解体遺棄された骨格の出土例の報告が多くなる。このため、日本に犬食文化が伝播したのは、縄文文化と別の特徴を持つ弥生時代からと見る意見もある。弥生時代に大陸からの渡来人(ここでは弥生人を指す)が日本に伝来し、これに伴い大陸由来の犬食文化と食用の犬が伝来した可能性も考えられている。古代には『日本書紀』天武天皇5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの間、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食が禁止されたことから、犬を食べる習慣があったことはあきらかである。また、長屋王邸跡から出土した木簡の中に子供を産んだ母犬の餌に米を支給すると記されたものが含まれていたことから、長屋王邸跡では、貴重な米をイヌの餌にしていたらしいが、奈良文化財研究所の金子裕之は、「この米はイヌを太らせて食べるためのもので、客をもてなすための食用犬だった」との説を発表した。以後たびたび禁止令がだされ、表面上は犬食の風習を含め、仏教の影響とともに肉食全般が「穢れ」ることと考えられるようになった。15世紀に記された相国寺の『蔭涼軒日録』によると、犬追物の後、犬を「調斎」し、蔭涼軒に集まって喫したとある。武士の鍛錬法(場合によっては見せ物にもなった)である犬追物は、広場で放たれた犬を標的として鏑矢で射つものであるが、その後の処理についての記述である。また、犬追物のための犬は、専用に飼育されていたとは限らず、多くは町内や市内といった人間の生活空間の中にいた犬を捕獲することでまかなっていたらしく、それを生業とする専門集団や独自の道具まで存在していた。また『建内記』(大日本古記録)には「播磨・美作など山名氏領国で山名一党は狩猟を好んで田畑を踏み荒らし、犬を捕らえ終日犬追い物を射、あるいは犬を殺してその肉を食す」という記述もあり、犬を撃ち殺して食べる習慣があったことをうかがい知ることができる。宣教師ルイス・フロイスは『日欧文化比較』で「ヨーロッパ人は牝鶏や鶉・パイ・プラモンジュなどを好む。日本人は野犬や鶴・大猿・猫・生の海藻などをよろこぶ」とあり、また 「われわれは犬は食べないで、牛を食べる。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」という記述がある。明石城武家屋敷跡内のゴミの穴からは刃物による傷のある犬の骨が発見されている。また岡山城の発掘時には食肉獣の骨の中に混じって犬の骨も出土しており、体の一部分のみ多数出土したことから、埋葬ではなく食用であった可能性がある。鹿児島にはエノコロメシ(犬ころ飯)という犬の腹を割いて米を入れ蒸し焼きにする料理法が伝わっていた。「薩摩にては狗の子をとらへて腹を裂き、臓腑をとり出し、其跡をよくよく水にて洗ひすまして後、米をかしぎて腹内へ入納、針金にて堅くくりをして、其まま竈の焚火に押入焼くなり、納置きたる米よくむして飯となり、其色黄赤なり、それをそは切料理にて、汁をかけて食す、甚美味なりとぞ。 是を方言にてはゑのころ飯といふよし。高貴の人食するのみならず、薩摩候へも進む。但候の食に充るは赤犬斗を用るといへり」江戸時代に入ると、犬食は武士階級では禁止されたが、17世紀の『料理物語』には犬の吸い物を紹介する記述がある。18世紀の『落穂集』には、「江戸の町方に犬はほとんどいない。武家方町方ともに、江戸の町では犬は稀にしか見ることができない。犬が居たとすれば、これ以上のうまい物はないと人々に考えられ、見つけ次第撃ち殺して食べてしまう状況であったのである。」としている。天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な米不足が起こった際、江戸北町奉行曲淵景漸が犬や猫の肉の価格を示して「米がないなら犬や猫の肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となっ。戦中・戦後の食糧難の時代には、犬を食べたという証言は多数ある。忠犬ハチ公の子孫が盗まれ、鍋物の具になったと、当時の新聞報道が残されている(畑正憲の大学時代のエピソードも参照)。北海道の浦河でもアイヌ・和人関わりなく、冬の食糧不足の時期には、犬を食べたという証言もあるが、日本で犬を食用とする文化は、一般的にはなくなった。一方、食用犬の犬肉は現在でも輸入されており、2008年の動物検疫による輸入畜産物食肉検疫数量によると、中華人民共和国から5トン輸入されている。これらの犬肉は、主に中国・朝鮮系の移民を中心に需要があり、大久保や猪飼野などのコリアン・タウン、池袋等の中国人が集まるチャイナタウンなど、一部アジア系料理店で提供されており、日本人も食べることが出来る。2005年12月に東京都足立区に住む韓国籍の輸入販売業の男が、韓国料理店等に卸す予定で、中国・大連から頭と胴体が切断された冷凍状態で食肉用として輸入し、胴体は食用として売れたが、精力剤などに使う頭部が売れ残ったため処分に困り、東京都葛飾区の東京拘置所の北側にある水路に大量に不法投棄して逮捕され、世間を騒がせた。日本で犬食が存在したこと自体が話題になる程、犬食は現代日本では稀な習慣とみなされている。先述の犬肉を提供する料理も、一種のゲテモノとされる事が多い。また、日本の楽器である三味線には、種類により犬の皮が張られることがある。この傾向は太棹種の三味線(津軽三味線、義太夫三味線など)ではごく当たり前のことであり、実際に音質面・耐久性ともに犬の皮が適している。これらに用いられる犬の皮は、本来は国内で屠殺された犬を使用していたのだが、現在の日本国内では犬猫の屠殺に従事する業者がほぼ存在せず、また演奏家や職人の要求に応えられるような犬種も国内では手に入りにくい。犬皮を職人や三味線店に卸す業者は、ほぼすべてをアジアの食用犬(中国・韓国における犬食の中心である赤毛の中型犬)からまかない、皮をなめした上で、日本に輸入している。フィリピンやパラオにおいては古来よりタンパク源・またお祝い事のご馳走として、犬肉が食されている(フィリピン・エディブル・ドッグなど)。ベトナムで犬肉は(ティッチョー)または(ティッカイ、イタチ肉の場合もある)と呼ばれ、中国の影響で中国南部と似た犬食・野味文化がある。犬肉は幸運をもたらすと考えられている。肉に関しては、国内でまかなわれてきたが需要が増えてきたためラオスやカンボジアから輸入される肉も充当されている。ラオスからの肉は、さらに隣国のタイからの密輸品も含まれているとされ、そのタイでは飼い犬がさらわれて多数犠牲となっていることから問題視されるようになった。タイからラオスに向けた密輸出量は、タイの獣医師団体によって年間50万頭と推定されている。犬泥棒も増えており、盗んだ者が憤慨した群衆に殺された事件もある。フーコック島では、希少種であるフーコック犬が食べられることもあった。バリ島では、古来より大型野生動物が少なく、犬は貴重なタンパク源として食されてきた。野良犬を食べるというのは逸脱的とする見方もあるが、アジアでは広く集落や都市内で半飼育、半野良的に犬の群が人間社会と共存関係にあり、廃棄物処理、余所者の侵入の警告の役割を担っている状態がかつては普遍的に見られた。こうした犬群の一部が、食用に用いられた。ポリネシア、ミクロネシアの島々では犬は豚・鶏等とともに人間が植民する過程で持ち込まれたものである。ヨーロッパ人との接触以来犬を食用としており、現在も食用家畜として飼養しているところが少なくない。ただしウミガメや魚類よりその価値は低いとされる。多くは祭りなどハレの日の料理として、バナナやタロイモなどの葉に包んで地中に埋め、熱く焼いた石で蒸し焼きにされる。ハワイの民族料理として知られるカルア・ピッグはこの調理法を豚に置き換えたものである(ハワイアン・ポイ・ドッグ)。西暦900年ごろにニュージーランドへたどり着いたマオリ人が連れてきた犬クリは、猟犬や番犬としてだけでなく、かつては神聖な料理に用いるために食用とされていた。クリは肉だけでなく骨や皮など全てが狩猟道具や衣服、アクセサリーなどに利用され、余すことなく使われた。これはマオリ人が命を犠牲にしたクリに対して限りない感謝を表すための風習であるとされている。現在は絶滅寸前の犬種であるため、食用には用いられていない。北米のインディアン民族は、コモン・インディアン・ドッグを始め、独自の労働犬を使役し、食用ともしてきた。スー族の「ユイピの儀式」など、犬食(鍋で煮る)が重要な意味を持つ儀式も多く、現在もこれらは行われている。中南米には食用にするために育成されてきた犬種が多く存在する。アステカ帝国やマヤ、ペルーなどがその例である。日常食として食べられるもの(アステカ:現メキシコのテチチ)や緊急食として蓄えられたもの(マヤのコリマ・ドッグ)、儀式の際に神聖な料理に使われたり主人と埋葬するため生け贄として使われたもの(メキシコのイズクウィントリポゾトリ)などがある。又、初めは戦争の開始を知らせるための狗頭笛(くとうぶえ:犬の頭を用いて作った笛の一種)に使われたり、主人の死の際に棺に入れられ生け贄にされたり、食用にされるのに使われていたものの、すぐに別の民族にペットとして飼育されるようになった犬種も存在している(ペルーのペルービアン・ヘアレス・ドッグとペルービアン・インカ・オーキッド)。フランスでは、パリで1910年頃に犬肉精肉店が開店したことや、横断幕で開店を示している例などが見受けられる。この他20世紀初頭にパリ市郊外で発達したガンゲット(ダンスホールを兼ねる大衆食堂)において、ウサギ肉と称して実際は蚤の市に出入りする屑屋が拾い集めてきた犬や猫の肉を出す、という都市伝説も広まった。イギリス人の多くは、交通や狩猟等の高速移動手段として重用された馬と共に、犬が他文化で食用にされている事に嫌悪感を抱く。この理由としてイギリスでは、牧羊や狩猟、上流階級の趣味の世界での生活の友として馬や犬の交配・品種改良の歴史が長く、人間社会で共存出来るような調教や躾が行き届いており、他の動物とは異なる扱いがされている点が挙げられる。南極探検においてアムンセン隊がそり犬を食べていたとされる。これはイヌイットからソリ犬の扱いの手ほどきを受けた際に、緊急時の食料として弱ったりけがをして動けなくなった個体から食料と他のソリ犬の飼料として供すると同時に身軽にするためと教わったからである。また文化とはかかわりないが、同様にジェームズ・クックはその航海記の中で、急病の際にしかたなく犬を食べた事を記している。イスラム教の教義では、犬は不浄な生き物とされ、食することはおろか、触れることすら避けられる。そのため、常食する地域はほぼ見られないが、戦争などで食料が逼迫した場合は犬肉なども食されることがある。危機的状況になると、イスラム法学者が「犬などを食べても良い」とするファトワーを出すこともある。犬を仕事仲間やペット、有能な動物と考える見方が強い現代のヨーロッパ圏などでは、犬食文化は外道なものであると忌み嫌われている。欧州での犬食忌避はイギリスに顕著である一方で、大陸諸国では伝統料理に犬肉を用いるものが複数ある。「欧州は牧畜文化であり、イヌが有史以前からパートナーであったため忌避された」との言説もしばしばみられるが、欧州地域の歴史は麦作以降に形成されてきたものであり、これには史実上の根拠はない。一方で、近世まで純放牧生活を続けてきた中央アジア・モンゴル地域において犬を重要な益獣として食料にしない傾向がある。イスラム圏では宗教上の教義としてイヌを食料とすることが禁じられている。ユダヤではカシュルートの規定があり宗教上タブーとされている。現代人の多くが犬食に対して示す原初的な忌避感は現代の牧畜文化とはまったく無縁のものであり、文化的伝統から解釈することにも一定の限界がある。犬食忌避の原像は、外国人として訪問した国の市場(いちば)で犬が食用として売買され、目にふれる場所で解体され調理されているのをみて衝撃を受ける、というある種のステレオタイプの「物語」に集約される。自分たちが常食しないものに対して忌避する傾向は原初的であり(食わず嫌い)その心理的忌避と倫理的な善悪認定がしばしば混同されることから、犬食文化がしばしば文明論における優劣や人種差別の格好の材料とされることがある。犬食文化が忌避される理由は文化的な要因に負うところが大きい。一般的には人間と心理的に関係性が強い動物(ネコ目には人間に馴れるものが多く愛玩されやすい)を食用と見なすことに対する嫌悪感から来るものであり、犬をペットと見なす文化圏においてこの感情は強い。しかし、食糧事情が切迫している状況においてこれを食すことに対しては、人食に対する嫌悪とは異なり、倫理的な批判が向けられることはあまりない。法的にはほとんどの場合なんら問題はない(希少生物に関する各種立法、あるいは自然保護について規定がある各地域で狩猟することについて除く)。動物愛護の観点から全面禁止する場合や旧宗主国の意向を受け規制するケースがむしろ例外的である。日本では動物愛護法があるが、これは対象が牛・馬・豚・鶏を含む。自民族の文化として犬をペット(愛玩具)化してきたことの反照として犬肉食の文化を忌避あるいは糾弾することがある。同じ愛玩動物でもカニやエビ、魚類全般、両生類(カエル)、爬虫類(カメ、ワニ)、鳥類(ハトやキジ)、大半の哺乳類(ウサギ、ウマ、シカ、カンガルーなど)が忌避の対象として指弾されることは珍しい。犬食の習慣が一時的に衰退し、再び盛んになる背景として、犬食文化に対する忌避が外圧によってもたらされ、為政者がその主張を国民に押し付けてくることに対する反発が上げられる。犬食文化への批判者(主に西欧)による主張が、自分達の文化の優位性にもとづき、他国の食文化を野蛮なもの、倫理的に劣ったものとして批判する似非普遍主義的なエスニック・セントリズム(自文化中心主義)から派生していることに、犬食の習慣を批判されている国や地域の人々が気付くようになるということがある。そして例えばオリンピック招致のような政治的な思惑から、当該国の為政者が外圧を無批判に受け入れ、その主張に追随することに対する反発からブームが再燃していると考えられることもある。犬食忌避はきわめて文化的な要素であり、イエイヌが人間に従順たるべく品種選別されてきた経緯と無関係ではない。

出典:wikipedia

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