一龍斎 貞水(いちりゅうさい ていすい)は、日本の講談師(講釈師)の名跡。4代目までは真龍斎 貞水(しんりゅうさい ていすい)で、4代目は後に早川 貞水(はやかわ ていすい)と名乗った。初代 真龍斎 貞水(しんりゅうさい ていすい、1839年〔天保10年〕 - 1874年〔明治7年〕3月14日)は、日本の講談師。後の2代目一龍斎貞山。2代目 真龍斎 貞水(しんりゅうさい ていすい、生没年月日不詳)は、日本の講談師。後の2代目錦城斎典山。3代目 真龍斎 貞水(しんりゅうさい ていすい、生没年月日不詳)は、日本の講談師。4代目昇龍斎貞丈の父。4代目 早川 貞水(はやかわ ていすい、文久1(1861年12月) - 大正6(1917年5月15日))は、日本の講談師。本名:早川興吉。江戸神田(現在の東京都千代田区)の生まれ、17歳の時に旭堂南慶の門下に入り慶治、4代目一龍斎貞山、2代目松林伯圓、初代桃川如燕らの門下を転々とし1891年に3代目真龍斎貞水の門下で3代目双龍斎貞鏡、1899年に4代目真龍斎貞水、1911年に早川貞水になった。「教育講談師」と称し寄席にはほとんど出ず旅廻りが多かった。相撲ネタが得意で「お相撲貞水」という異名があった。6代目 一龍斎 貞水(いちりゅうさい ていすい、1939年6月29日 - )は、日本の講談師。本名、浅野 清太郎(あさの せいたろう)。講談師初の人間国宝。講談協会相談役。血液型はB型。東京府東京市本郷区湯島天神町(現在の東京都文京区湯島)生まれ。役者志望であったが、小さい頃からラジオで演芸に親しんでいた。講談組合頭取会長の4代目邑井貞吉と出会い、寄席本牧亭の楽屋に出入りするようになる。周囲に貞吉の孫と勘違いされて可愛がられ、5代目一龍斎貞丈から「ちょっと噺出来るか」と言われ、学生服姿で初舞台を踏んだところ喝采を浴び、講談の道に入ったという。1955年、都立城北高校入学と同時に、5代目貞丈に入門。一龍斎貞春を名乗る。1966年、真打に昇進し、「6代目一龍斎貞水」を襲名。2002年から2006年にかけ、講談協会会長。「怪談の貞水」の異名を持ち、照明や音響、大道具などを効果的に用いた「立体怪談」を得意とする。実家は湯島で居酒屋「酒席 太郎」を営んでいる(店主は貞水の妻)。声優の一龍斎春水(旧芸名・麻上洋子)と、同じく声優の一龍斎貞友(旧芸名・鈴木みえ)は弟子。
出典:wikipedia
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