サムソンビッグは日本の競走馬。1994年のきさらぎ賞優勝馬。※戦績の馬齢は旧表記(数え年)とする。中央競馬で競走生活を送る。3歳時の1993年7月10日に札幌競馬場でのデビュー戦を勝利で飾る。その後2レースは15着、5着に終わるが、4戦目の函館3歳ステークス(GIII・函館競馬場)ではマリーゴッドの2着に入り、ナリタブライアン(6着)に先着を果たす。その後も福島3歳ステークス(福島競馬場)の2着をのぞけば大敗を繰り返し、初のGI出走となった朝日杯3歳ステークス(中山競馬場)は勝ったナリタブライアンから2秒8離された14着(ブービー)に終わる。4歳となった1994年もシンザン記念(京都競馬場改装の関係で阪神競馬場で開催)ではブービーの11着。続いて阪神競馬場2000メートルでの開催となったきさらぎ賞に出走する。さすがに11頭立ての最低人気であったが、スローペースで逃げて後続馬を寄せ付けず、良馬場にもかかわらず2分7秒4という遅い走破タイムであったが勝利を収めた。このレースでの単勝オッズは172倍であった。その後は大敗を続け、この年の皐月賞・東京優駿(日本ダービー)・菊花賞の三冠レースには三冠馬のナリタブライアンとともにただ2頭全レースの出走を果たしたが、皐月賞はブービーで、ダービー・菊花賞は最下位と、もう少しで「逆三冠」を達成するところであった。古馬になってからも苦戦は変わらず、5歳時に3着となった秋野ステークス(新潟競馬場1800メートルのオープン特別)をのぞいてほとんどが二桁着順の大敗。暮れの愛知杯13着(最下位)を最後に障害競走に転向する。すると明けて6歳となった1996年緒戦の障害未勝利戦ではいきなりレコードタイムで圧勝。しかし、そこから障害400万下で3連敗を喫する。400万下4戦目で勝ってオープンに昇級するが、故障で1年の休養を余儀なくされた。7歳での復帰後はオープンで3戦するが、3着が最高で小倉障害ステークス(7頭立て6着)を最後に現役を引退。引退後は去勢されて乗用馬となった。通算 平地競走27戦2勝、障害競走8戦2勝4代母イチジヨウは1953年のクモハタ記念の勝ち馬。5代母に名牝クリフジを持つ。いかつい名前とは逆の小柄なおとなしい馬で、洗い場から厩舎に戻るのに引き綱なしでも人間のあとをついていったという。このエピソードから本馬の大ファンになったというよしだみほ (いわく「お座敷馬として私が自分チで飼いたい」) の漫画『馬なり1ハロン劇場』ではナリタブライアンの唯一の親友という設定が与えられ、同漫画の定番ネタのひとつとなった。
出典:wikipedia
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