首都圏女性連続殺人事件(しゅとけんじょせいれんぞくさつじんじけん)とは1968年から1974年にかけて首都圏で発生した連続女性暴行殺人事件。1968年から1974年にかけて千葉県、埼玉県、東京都で発生した11件の連続女性暴行殺人事件。事件内容は、1人暮らしの女性が深夜、強姦されたうえで殺害されるというものであった。被害者の大半は20代で、現場に残されていた加害者とされる血液型はO型の事件が多く、殺害方法は暴行焼殺9件に暴行穴埋め2件と手口に類似点があったため、同一犯によるものという見方が強かった。1974年9月12日、茨城県行方郡北浦村(現行方市)生まれの元建設作業員、小野悦男(当時37歳)が窃盗容疑で千葉県警松戸警察署に逮捕され、連続焼殺事件への関与を追及された。など、他の事件でも小野と結びつく状況証拠があったため、マスコミが小野を首都圏女性連続殺人事件の犯人に擬して報道した。新聞各紙には「ウソの天才、捕われの人生(朝日新聞)」、「盗癖、平然とウソ(毎日新聞)」、「実直さの裏に悪魔の顔(東京タイムズ)」、「愚直な男、犯罪ではプロ(東京新聞)」などの見出しが躍った。獄中の小野が同房者に「俺のマラは大きいから、1回寝た女はもう忘れられないぞ」と自慢していたことも報じられた。ただ、加害者の血液型はO型ではない事件もあり、狙われた女性も年代にもばらつきがあるため、首都圏女性連続殺人事件の11件全てを「同一犯によるもの」とまとめることには疑問が残っていた。実際に葛飾区で発生した1件は、小野とは別の人間が真犯人と判明して解決している。1975年3月、小野は「殺しは絶対にやっていない」と救援連絡センターに助けを求め、長谷川健三郎を中心に「小野悦男さん救援会」が組織された。新聞記者の中島俊によると、千葉県警やマスコミは狭山事件の前例から小野の親類や友人に被差別部落関係者がいないか徹底的に調べ、被差別部落と無関係であることを確かめてから「クロ説を二人三脚で突っ走った」という。小野によると、彼は取調室で被害者の死体写真や顔写真や位牌を顔に押しつけられ、香を焚かれて煙責めに遭い、真冬に暖房を止められ、窓を開けられ、髪を引っ張られるなどの違法な取り調べで虚偽の自供に追い込まれた、という。裁判では、1986年の一審判決で無期懲役となったものの、1991年の二審判決では捜査機関による自白の強要が問題視され、連続殺人については無罪となった。小野はただちに釈放され、冤罪のヒーローと呼ばれるようになった。1974年7月3日、千葉県松戸市の信金OL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より遺体が発見された。首都圏連続女性暴行殺人事件が発生していたが、どれも犯人を確定する物証が乏しく、多くの事件で目撃情報などが寄せられていた足立区の小野悦男(当時38歳)のほかに、数百人の人間がリストアップされていた。同年7月10日に事件現場の付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致、信金OLの遺体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、小野を犯人と特定、9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕する。逮捕時、マスコミが連続女性暴行殺人事件の犯人であると誤報。その後、検察が殺人事件としては松戸事件の1件しか起訴されなくても、連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けた。これが後の冤罪支援運動の火種となる。逮捕後、物証能力に乏しいと判断した地検はいったん小野を釈放するも、警察は彼の自白によって被害者の所有物が発見できたことや、犯人と小野の類似性(血液型や毛髪など)を強調して再逮捕。1975年3月12日、小野を信金OL殺人で起訴。この起訴と時を同じくして、冤罪支援運動のため浅野健一などの文化人、宗教関係者、弁護士らが「小野悦男さん救援会」を結成。小野の弁護人を担当した野崎研二は代用監獄など自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行った。1986年9月4日、千葉地裁松戸支部で無期懲役判決。1991年4月23日、東京高裁で松戸市の殺人事件において、自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、松戸市殺人事件の無罪が確定した。別件の窃盗罪と婦女暴行で懲役6年判決が出ていたが、未決勾留日数が参入されたため刑務所に服役することはなかった。16年ぶりの釈放であった。未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として総額約3650万円が小野に支給された。1991年に無罪が確定した小野は代用監獄や自白偏重捜査を批判する冤罪のヒーローとして冤罪被害の集会などで講演をしていたが、1992年に窃盗を働いたため2年間服役した。出所後の1996年に足立区首なし女性焼殺事件で41歳女性を殺した殺人犯として逮捕された。松戸事件とは違い決定的な証拠を警察から突きつけられたため、小野は犯行を認め、1999年に裁判で無期懲役が確定した。首都圏女性連続事件に関しては、後に1件だけ犯人が逮捕されて解決するも、他10事件は全て公訴時効を迎えて未解決事件となった。小野が1996年の足立区の殺人事件の犯人と判明して以降、殺人罪で立件された松戸事件を始め、他の首都圏女性連続殺人事件にも小野が関与したのではないかという疑念が再度浮上した。立件された松戸事件の犯人については、小野の自供によって被害者の遺留品が発見されたため、犯人しか知りえない秘密の暴露に該当し、小野が犯人であるとするか、あるいは、警察があらかじめ発見した遺留品を、小野に拷問で自白をさせた後で発見したかのように警察が捏造したという証拠を以て、彼が犯人ではないとするかで、意見が分かれている。なお足立区の殺人事件が発覚後、松戸事件の小野の弁護人だった野崎は「弁護人としては当時口が裂けても言えなかったが、(松戸事件の)一審の途中から小野を疑い始めていた」と告白し、所属弁護士会から戒告処分を受けた。小野自身は足立区首なし殺人事件について犯行を認めて以降も、首都圏女性連続殺人事件には関与していないと無実を主張している。なお、松戸事件は仮に時効がなかったとしても、一事不再理の原則により、小野に対して刑事事件で再審理は行うことはできない。
出典:wikipedia
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