凌雲会(りょううんかい)は、民進党のグループ。通称、前原グループ。保守派。グループでありながら政策は是々非々で対応が可能等、今までになかったグループの性格を有する。凌雲会は、2002年(平成14年)に、仙谷由人・前原誠司・枝野幸男らを中心に結成された。その前身は旧新党さきがけメンバーが1999年(平成11年)ごろに結成した高朋会である。この高朋会メンバーと旧民政党出身の羽田孜らが結成した羽田グループに参加していた若手議員たちとが、2002年(平成14年)の民主党代表選挙で若手議員のなかから代表候補を擁立するための議員団として結束したことが、のちに、凌雲会発足の契機となった。2002年(平成14年)の代表選では、この議員団の中から名乗りを上げた前原と野田佳彦との調整の末、野田を代表候補として支援した。野田は落選したものの、若手議員のグループとして大きく存在感をアピールすることとなった。その後議員団は凌雲会として正式に旗揚げする。日本新党や新党さきがけ出身の議員を中心に活動し、選挙で当選してきた新人議員を取り込むことで成長していった。2004年(平成16年)5月18日の代表選では岡田克也を無投票当選させ、2005年(平成17年)9月17日の代表選では菅直人を2票差で破って前原を当選させる原動力となった。2006年(平成18年)に前原が代表を辞任し、小沢一郎が代表に就任すると、鳩山由紀夫、菅直人を取り込む形でいわゆるトロイカ体制が民主党の基盤となり、途中代表が鳩山に変わったが、基本的には小沢体制のまま2009年(平成21年)の政権交代に至った。この過程で小沢が党内における影響を強めていく中、反小沢的な議員が多い凌雲会はやや微妙な立場にあったが、対立が表面化することはなかった。2009年(平成21年)の政権交代後は仙谷、前原らが閣僚に就任し、挙党一致的な体制の一角を担った。しかし2010年(平成22年)6月に鳩山内閣総理大臣が辞任し、小沢も幹事長を離れると、続く代表選では菅直人支持を表明した。菅内閣が成立すると、野田グループと共に一気に主流派に躍り出た。枝野が党幹事長、仙谷が内閣官房長官と要職につき、9月には前原が外務大臣に就任した。その後数度の人事を経ながらも、仙谷・枝野・前原・安住らはほぼ一貫して菅政権を支える重要な役割を担っている。また、2010年(平成22年)から2011年(平成23年)にかけての小沢派との抗争では、一貫して小沢の排除を唱え、反小沢強硬姿勢を貫き通した。その過程で、これまで不定期で開いていた会合を毎週木曜日に定例化し、所属議員への結束を促した。所属議員が一堂に会してカレーライスを食べながら幹事長室や国会対策室からの伝達事項を報告するという自民党のようなスタイルは、派閥化の象徴として話題を呼んだ。2011年(平成23年)11月10日、仙谷由人に代わって前原誠司が会長に就くことになった。また、役職を明確化することになり、顧問に仙谷由人、副会長に小宮山洋子と古川元久と渡辺周、幹事長に枝野幸男、幹事長代理に小川勝也、事務局長に福山哲郎、といった者を充てる人事を決定した。また、政治団体としての代表者は仙谷由人として届け出ていたが、これを期に前原誠司に変更することになった。2012年(平成24年)12月16日の第46回衆議院議員総選挙では中心人物であった仙谷由人と副会長の小宮山洋子が落選した。また総選挙時の党および内閣を花斉会とともに主軸を担っていたこともあり発言力が現在は大幅に失われている。2013年(平成25年)7月21日の第23回参議院議員通常選挙でも立候補した現職3人が落選し、衆議院から鞍替えし前原の地元京都から出馬して前原が全面支持をした北神圭朗も落選するなど影響力の退潮に歯止めはかからなかった。対外政策では、党を代表する外交・安保の論客である前原に代表されるように、全体的には日米安保を基軸とした現実主義的な外交路線を取る議員が多い。前原、枝野はしばしば外交論さらには人権論の観点から中国脅威論を唱え、枝野はチベット問題への熱心な取り組みで知られる。また、枝野・仙谷は台湾民進党との人脈が深く、こうした様々な要因から、中国・韓国といったアジアの国々との関係強化を標榜しつつも、対中関係ではいわゆる親中派とは一線を画している。内政に関しては、経済政策では第三の道ないし新自由主義的な改革派が多く、市場規律を重視して旧来型の公共事業の選択と集中や、自由貿易を見据えた農業政策の見直しなどを主張する。出身議員はマスコミを含めたビジネス界や官界・松下政経塾出身の議員が中心であり、民主党全体では一大勢力をなす労組系の議員がほとんどいないのも特徴である。政治手法としては、野田グループ同様、与党と政策で勝負する対案路線を掲げている。反面、政局や選挙を軽視しているとか、経験が浅くワキが甘いと批判されることも多い。小沢派との対立は、こうした政治手法の差に由来する部分もある。前原代表体制での党運営、特にいわゆる堀江メール問題ではこの弱点が露呈することとなった。凌雲会と野田グループとの交流はあるものの、2002年(平成14年)の代表選で支援し、凌雲会結成のきっかけとなった野田はいまだ凌雲会に参加しておらず、志士の会さらにその後身である花斉会を自ら主宰している。しかしながら、凌雲会と野田グループは、政策的には野田グループのほうが保守色が強く、主張が共通しているとはいえないものの、経済政策や外交路線については共通しており、また経歴や年齢など民主党内の立場や、いわゆる政治と金の問題や国会における対案路線など政治手法の近さから、政策集団として共同歩調を取ることが多く、2006年(平成18年)の代表選でも凌雲会の前原誠司を一致して支援し、2011年(平成23年)の代表選では野田・前原のどちらかが出馬した上で一致して支援する方向で調整が進められていたが、調整は難航して前原・野田ともに出馬することになった結果、野田が代表に選出された。このため両グループをまとめて前原・野田グループあるいは前原・枝野・野田グループと呼ぶこともある。計16名。計15名。計2名。「党費又は会費を納入した人の数」は、平成19年分政治資金収支報告書には42人、平成20年分政治資金収支報告書には40人、平成21年分政治資金収支報告書には39人、平成22年分政治資金収支報告書には90人と記載されている。
出典:wikipedia
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