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上板町

上板町(かみいたちょう)は、徳島県の北東部、吉野川の北岸に位置する町で、板野郡に属する。堰の改良計画をめぐり世論を二分し住民投票も行われた吉野川の第十堰は、この上板町と対岸の石井町の間にある。産業面では、藍染めの原料となる藍すくもや、高級和菓子などに使われる阿波和三盆糖の産地でもある。上板町は徳島県の北東部に位置し、北に阿讃山脈、南に吉野川で挟まれる。町中央を東西に中央構造線が走り、その北側の山地部と南側の平野部を分ける。町の最高峰は、標高691mの大山である。阿讃山脈を源流とする宮川内谷川、泉谷川、大山谷川などの谷川は複数の扇状地を形成し、古くから人が住みついていた。一方でこれらの谷川は平野部で天井川となり、古来よりたびたび氾濫を繰り返してきた。吉野川は四国三郎とも呼ばれ、暴れ川として知られるが、上板町では農地や牧草地を形成する恵みの川と位置付けられている。現在の上板町に相当する地域は、徳島県でもっとも古くから開けた地域であり、阿讃山脈山麓からは、1万年以上前の旧石器時代の石器、縄文土器、平安時代の銅鐸などが出土する。大化の改新による公地公民制による郡制度により、阿波国では板野郡、名方郡など7郡が設置された。名方郡は896年(寛平8年)に名西郡と名東郡に分離した。板野郡は902年に板東郡と板西郡に分割されたが、1644年に両郡は合併されて元の板野郡に戻った。江戸時代には徳島藩が農業振興に力を入れ、現在の田畑の殆どがこの時代の新田開発によって開拓された。また殖産振興政策により阿波藍と阿波和三盆糖の生産が盛んになった。1889年(明治22年)の町村制施行により、七条村・鍛冶屋原村・引野村・泉谷村が合併して板野郡松島町が、西分村・神宅村・椎本村が合併して同郡大山村が、瀬部村・高瀬村・高磯村・上六条村・下六条村・佐藤塚村・第十新田が合併して名西郡高志村が成立した。2008年、し尿処理の中継運搬問題をめぐって続いていた町長派と反町長派の対立が激化。町長の松尾國玄が議会で否決された中継運搬費を盛り込んだ予算案を専決処分したため、町長の解職請求(リコール)運動が行われた。3月23日に行われた住民投票の結果、リコール賛成派が反対派の2倍近い得票を獲得し、町長の松尾は失職した。町長失職に伴う町長選挙が行われ、反町長派で町議会議員の納田伸春が当選し、新町長に就任した。2013年8月、中学校体育館新築工事をめぐり、共謀して建設業者に最低制限価格を漏らした官製談合防止法違反の疑いで町長の納田伸春と前町長リコールの会の会長の梶田道男らが逮捕された。同年10月、納田前町長の辞職に伴う町長選挙が行われ、元衆議院議員の七条明が当選した。江戸時代から阿波藍、阿波和三盆糖の生産が盛んであった。いずれも明治後期に輸入品に押されて衰退したものの、現在に至るまで生産は続けられ、上板町の特産品として知られている。近年では平野部では稲作を初めとし、キク、洋ニンジン、レタス、ホウレンソウ、イチゴなどの花卉や都市近郊型野菜、山間部では柿や桃などの果樹栽培が盛んである。また徳島県最大の酪農地帯でもある。2000年(平成12年)調査によれば、農家数は1107戸、経営耕地面積は田815ha、畑176ha、農家人口は4859人となっている。商業に関しては2002年調査で、小売商店数131店、その年間販売額約131億円、卸売り商店数11、年間販売額約6億6千万円となっている。町や商工会議所では、特産の藍、和三盆糖に関連した商品開発などによる観光商業振興を図っている。かつては国鉄鍛冶屋原線が通っていたが1972年に廃止された。

出典:wikipedia

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