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水田洋

水田 洋(みずた ひろし、1919年9月3日 - )は、日本の思想史家。日本の社会思想史研究の代表的人物で、世界でのアダム・スミス研究推進者の一人。1998年12月日本学士院会員に就任。18世紀スコットランド研究国際学会 (Eighteenth-Century Scottish Studies Society) 生涯業績賞を2001年に受賞。名古屋大学名誉教授、名古屋大学高等研究院アカデミー会員。水田からの寄付金により名古屋大学では「水田賞」を設置し、人文・社会科学(思想史)の若手研究者を表彰している。宮本憲一(環境経済学、大阪市立大名誉教授)や、安藤隆穂(思想史家、名古屋大名誉教授、日本学士院賞)、永井義雄(思想史家、名古屋大名誉教授、元一橋大教授)、植村邦彦(思想史家、関西大学教授)らは水田ゼミ出身。妻は水田珠枝(フェミニズム思想史研究者、名古屋経済大学名誉教授)。東京都港区生まれ。府立一中の校風を嫌い、中学4年で東京商科大学(現一橋大学)予科に進学、英語は西川正身に習った。1941年同大を繰り上げ卒業。大学では高島善哉ゼミナールに所属。卒業論文は「生成期国民国家の思想史的研究」。1942年東亜研究所入所。戦中は大日本帝国陸軍軍属として帝国陸軍南方軍第16軍(ジャワ軍政監部)調査室で、農村事情の調査を行う。戦後、日本降伏交渉の通訳として訪れたスラウェシ島で8ヶ月の捕虜生活を経て、1946年母校東京商科大学に特別研究生として戻る。高島の先輩であり、戦時中の受難によって戦後一橋で圧倒的な影響力があった大塚金之助が指導教官だったが、大塚に嫌われ、一橋大に残れなくなったため、好きな北海道にある北海道大学に就職しようとしたところ、杉本栄一に「田舎者になってしまうぞ」と反対され塩野谷九十九の誘いを受け、1949年名古屋大学法経学部助教授に就任。高島、大河内一男、大道安次郎を、日本における本格的なアダム・スミス研究の第一世代としたとき、水田は、内田義彦、小林昇と並んで第二世代を形成した。内田の命名によるところの市民社会青年アカデミズムである。学風としては、書誌学に注目し、古典の版によるちがいを研究テーマとしてよく取り上げる。『道徳感情論』『国富論』の翻訳はまさしくその延長上にあり、とりわけ前者は、国富論200年を記念にイギリスで刊行されたスミス全集よりも早く、時期的にも世界的に類がない。書誌学的にはスミスの蔵書のリストの作成や、『エディンバラ・レヴュー』の大学内紀要を利用しての復刻といった事業も行っている。名古屋大学図書館の予算と人材を最大限に利用した。この学風は水田ゼミの教え子以外に、佐藤金三郎のマルクス研究や、田中正司のロック研究・スミス研究にも影響を与えた。市民運動にも積極的に関わり、日本戦没学生記念会(わだつみ会)理事長、市議調査研究費の情報公開を求める名古屋市民の会代表、不戦へのネットワーク代表、愛知の環境と開発を考える市民フォーラム世話人、日の丸・君が代の強制を考える市民ネットワーク共同代表等を務めた。また「年金生活者」の肩書きで、朝日新聞の「声」欄にたびたび投稿をしている。エドマンド・バーク、アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、ホッブズ等多数の翻訳を手がけた。

出典:wikipedia

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