『あしたのジョー』 は高森朝雄(梶原一騎)原作、ちばてつや画による日本の漫画作品。講談社の『週刊少年マガジン』に、1968年(昭和43年)1月1日号(発売日は1967年(昭和42年)12月15日)から1973年(昭和48年)5月13日号にかけて連載された。ボクシングをテーマにしたスポーツマンガである。週刊少年マガジン連載中から社会的反響は大きく、ジョーのライバルである力石徹が死んだ時には東由多加によって実際に葬儀が行われ、1970年3月31日に発生したよど号ハイジャック事件では、ハイジャック犯が「われわれは明日のジョーである」(原文ママ)と声明を残している。また辰吉丈一郎をはじめ現実のボクシング界にも大きな影響を与えた。これら社会的反響の大きさから、「戦後最大のヒットマンガ」の1つに数えられ、劇画路線にシフトした昭和40年代の週刊少年マガジンを巨人の星とともに支えた。本作以降のボクシングマンガは、すべて本作の影響下にあると言われている。タイトルは原作者が井上靖の「あした来る人」を読んでいて、そこからひらめいたものである。累計発行部数は2000万部。連載開始までのきっかけは、ちばてつやが『ハリスの旋風』を描く為の過程で取材したボクシングに感銘を受け、後継作品として構想していたことが原点になっている。丁度同時期に、ボクシング作品の提供先を模索中だった原作者の梶原一騎を、週刊少年マガジンの編集部が両者を引き合わせて、共作合意したのが始まりである。当初の ちば は、梶原と共作する考えまで至っておらず「これから描くボクシング漫画の参考になればいい」と、編集部との付き合い程度の気持ちで梶原と面会したら、既に決定事項の雰囲気になっていたことを明かしている。東京・山谷のドヤ街に、ふらりと一人の少年が現われた。矢吹丈(ジョー)と名乗るその少年に一方的にたたきのめされたアル中の元ボクサー・丹下段平は、ジョーと地元暴力団・鬼姫会の連中との乱闘から天性のボクシングセンスを見いだし、一流のボクサーに仕立て上げようと口説き始める。しかしジョーは、自分に向けられる段平の情熱を利用し、小遣いをもらってはドヤ街の子供たちを引き連れて乱行を繰り広げた揚げ句犯罪にも手を染め、警察に逮捕されて鑑別所へと送られてしまった。そんなジョー宛てに段平から「あしたのために」の書き出しで始まるはがきが届いた。その内容は、左ジャブの打ち方から始まるボクシング技術の講義であった。時間と体力を持て余していたジョーは、そのアドバイスに従ってボクシングの練習に身を入れるようになり、やがて自分のパンチの切れが今までと比べ物にならないほど向上していくのを実感する。鑑別所から西と共に野菊島の東光特等少年院へ移されたジョーは、豚小屋掃除の際に、西の提案で豚たちを暴れさせ脱走を試みた。しかし、ライバル・力石徹にそのジャマをされてコテンパンに叩きのめされた。その後、小馬鹿にしていた青山とのボクシング対戦で防御法を身に着けたものの、宿命の対決が実現されないまま力石は先に院を出た。遅れてジョーはなんとかライセンスを取り、強引な手腕でウルフ金串との対戦を実現させて、階級の差をも乗り越えて力石との対戦をも実現させた。減量による力石の変わりようは見られたものではなく、しかしそれでもジョーは敗れてしまった。そして、その対戦直後、力石は死んでしまった。そのショックで対戦相手の顔面を打てなくなり満足な試合を行えなくなってしまったジョーは、それでもボクシングを捨て去ることなく、ドサ回りのボクサーに身を落とし罵声を浴びながらも試合を続けるのだった。ボクシングに対する苦悩の末、強敵カーロスとのスパーリングで顔面を打てないという後遺症を乗り越えて復帰を果たし、本格的にボクシングの道へと足を踏み入れることとなったジョーは、金竜飛やハリマオとの対戦を経て遂に、世界チャンピオンの座を賭け最強のボクサー・ホセとの闘いに挑んだ。しかし、パンチドランカーに冒されていたジョーは、善戦むなしく判定負けを喫し敗れ去る。ジョーは試合後グローブを葉子に渡した。灰のように真っ白に燃え尽きたジョー。しかし、その顔には満足げな微笑みがあった。1970年(昭和45年)4月1日 - 1971年(昭和46年)9月29日、毎週水曜19時 - 19時30分、フジテレビ系放映(全79話)。放映中にちばてつやが病気で連載を休載したこと、また遅筆であったこともあり、ストーリーが原作に追いついてしまった。そのため矢吹丈VSカーロス・リベラ戦で終了している。原作の魅力に加え、初めて監督格となった出﨑統の先鋭的な演出によりその名を高めた。また、矢吹丈と丹下段平の声を(元来アニメ声優ではない)あおい輝彦と藤岡重慶が担当し、そのハマリ具合の絶妙さから、続編や劇場版において他の人物の声の配役が大幅に変更される中でも、この両名だけは常に不動とされた。なお、続編『2』ほどではないにせよ、本作にも原作にないオリジナルキャラクターやオリジナルストーリーが随所に挿入されている。原作最後の対戦者である「ホセ・メンドーサ」は第77話で名前が登場する。(ビデオリサーチ調べ・関東地区)1980年(昭和55年)10月13日〜1981年(昭和56年)8月31日、毎週月曜日19時〜19時30分、日本テレビ系放映(全47話)。日本テレビ系アニメとして初めて全話ステレオ放送された作品である。前作の続編だが、下記の再編集劇場版の続きという位置付けのためストーリーは力石との対戦後から始まり、カーロス戦までは事実上のリメイクとなっている。ただし原作やアニメ前作にあった矢吹丈がドサ回りのボクサーになり、そこからはい上がるストーリーは省略されている。また原作にないオリジナルストーリーがふんだんに盛り込まれ、オリジナルキャラクター(須賀清など)も多数登場させている。原作が完結して何年もたってから整理しての制作なので、矛盾点もクリアされており、登場人物の心理表現も丁寧に描かれている。特に終盤のテレビ関東による世界バンタム級1位のレオン・スマイリーとのマッチメイクや、WBA王者カロルド・ゴメスとWBC王者ホセによる王座統一戦のくだりなどは、よりリアルにプロボクシングの世界を描きたいという意図からの追加で、オリジナルの部分からは主に監督である出﨑統が「あしたのジョー」という作品世界をどう解釈しているか、がうかがえる。ほとんどの話数で絵コンテを担当しているさきまくらは出崎統の別名義である。なおサブタイトルには第4話と第33話を除く残りすべてに「…」が挿入されている。白木葉子役の声優は一般公募された。1,380人の応募者の中から、梶原一騎や出崎統を含む8人の審査員による公開オーディションの結果、田中エミと森脇恵が同点となり、田中が白木葉子役に、森脇が林紀子役に選ばれた。(ビデオリサーチ調べ・関東地区)『あしたのジョー』1970年7月22日公開。同年6月に新国劇で舞台化されていた同名作品の映画化。2011年2月11日より東宝系で公開の実写映画。昭和40年代を舞台に原作の少年院での丈と力石との出会いから宿命の対決までが描かれる。出演はアイドルグループ『NEWS』(当時)の山下智久。山下は役作りのため、プロボクサー並みのトレーニングを行い、約10キロの減量と体脂肪率を10%近く落とすなど、過酷なスケジュールの基で撮影に臨んだ。力石役の伊勢谷友介も実生活での減量を実施、水を求めるシーンでは数日前からほとんど飲まず食わずで撮影に臨んでいる。2011年2月5日以降にTBS系列で映画公開記念特別番組『ジョーのあしたはどっちだ!?映画公開記念徹底解剖スペシャル』が放送。また、公開に先立ち、各地域を代表するアスリートが「応援団支部長」に就任し、特別番組やイベントにも登場した。就任したアスリートは、ボクシング界より井岡一翔(公開当日にWBC世界ミニマム級王座獲得)、長谷川穂積(大阪:当時WBC世界フェザー級王者)、黒木優子(福岡:後のWBC女子世界ミニフライ級王者)、ボクシング以外から福島千里(札幌:陸上短距離選手)、楢崎正剛(名古屋:プロサッカー選手)の計5名。キャッチコピーは「日本中が熱狂した、魂の傑作漫画完全映画化」。『この時代の若者に,ジョーはいるか?』全国277スクリーンで公開され、2011年2月12,13日土日2日間で興収は1億9,449万4,250円、動員は15万6,877人(初日からの3日間では興収は3億232万1,700円、動員は24万3,955人)になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第3位となった。また、ぴあ初日満足度ランキング(ぴあ映画生活調べ)では第2位と幅広い世代に高評価されている。3月には台湾でも公開され、各国での配給が決定されている。2011年8月19日発売のDVD『あしたのジョー プレミアム・エディション』が初週1万1,000本売り上げ、8月29日付オリコン週間DVDランキングで首位となった。またBlu-rayも初週7,000本を売り上げBlu-rayランキング総合2位となっている。2014年12月28日にはTBS系列の21:00 - 23:08(JST)で放送された(文字多重放送)。など2011年8月19日発売。発売元はTBSテレビ / 講談社、販売元は東宝。2016年5月25日から29日まで、劇団め組として、すみだパークスタジオ倉にて上演。脚本は合馬百香、演出は与儀英一が担当。2010年1月17日19:00 - 20:00 TBSラジオ矢吹丈vs力石徹戦を、第1ラウンドから最終第8ラウンド2分47秒まで実際のボクシングの試合のように架空中継するプログラム。マンガやアニメには描かれていない時間帯も含め再構成しており、監修はちばてつやと梶原一騎の妻である高森篤子が務めている。力石徹の減量と死のエピソードは、ちばと梶原の設定確認の行き違いによって生まれたものである。ジョーと力石の初対面シーン、渡された原稿の一文を自分なりに解釈したちばは、力石の身長をジョーより頭一つ分高く描いてしまった。発行された誌面を見てそれを知った梶原は、この身長差では二人が同じ階級で戦えないということに気付き、後に話の辻褄を合わせるため「これで死ななきゃ嘘だ」とまで思わせるほどに人間の限界を超える過度の減量を力石に強いねばならなかった。力石をどうするかで、梶原は力石を殺したいがちばは生かしておきたいということになり、口論になった。ここで梶原が「力石は、絶対殺す!」と発言。口論の場となった新宿のバーのバーテンダーが梶原の発言を聞いて、警察に通報した。最終的には編集がちばを説得、力石は試合後に死ぬという方向に決まった。もっともちばは斎藤貴男の後年のインタビューに対しては「力石には、もう死相が出ていた」と話し、ここで殺さなければ「その後の力石に何をやらせても、それは堕落にしかなりはしないとも考えた」という。『週刊少年マガジン』の1970年第9号(2月22日号)にて力石が試合後に死亡したのを受け、1970年3月24日には寺山修司の呼びかけで、天井桟敷により文京区の講談社講堂にて力石の葬儀が行われた(構成、演出東由多加)。現在は実在しない漫画キャラクターの葬儀として語られることが多いが、葬儀自体はアニメ版の主題歌を歌っていた尾藤イサオがライブ形式で歌いだすなど、力石戦で人気が最高潮に達していたことをきっかけとした、ファンイベント的な要素が強かったようである。当時のこの作品に対する注目度がいかに高かったかを示すエピソードになっている。また、2002年5月9日には雑誌『ジョー&飛雄馬』の創刊イベントとして、講談社講堂で力石の33回忌献花式が行われた。『トリビアの泉』で「力石徹は作者のつじつま合わせで死んだ」というトリビアが紹介され、ちばがコメントをしている。ちばは、VTRの最後で力石をつじつま合わせで死なせたことに対して、『彼(力石)には申し訳なく思っている』とコメントしている。ちばの後年の回想によると、梶原から伝えられたラストの内容は「ホセ・メンドーサに判定で敗れたジョーに、段平が『お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ』と労いの言葉をかける。ラストシーン、白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」というものだった。これに対してちばは「ここまでやってきて、『ケンカに勝った』はないじゃないか」と考えて、電話で「ラスト、変えますよ」と梶原に伝え、梶原も「ああ、任せるよ」とこれを承諾した。その結果出来上がったのが「真っ白に燃え尽きた」ラストシーンであった。幻のラストシーンともいえる「白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」は民放バラエティ番組においてちばの直筆色紙で紹介されている。梶原が書いた原稿をちばに渡す前に見ていたという真樹日佐夫も最終回について、ちばとほぼ同様のことを述べているが、ラストシーンがパンチドランカーとなったカーロス・リベラと共に療養所のような所で笑顔で戯れている姿で終わっていたと書いている。上述の経緯でちば自身がラストシーンを作ることが決まり、アシスタントとともに締めくくりをどうすべきか考え、20通りのアイデアが出るもどれもちばの納得のできる内容ではなく、締め切り時間が刻々と迫る中、悩んでいたところ、本編を最初から読み返していた当時の担当編集者が、ジョーが紀子に「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と語るシーンを発見し、「これこそあしたのジョーのテーマではないか!」とちばに差し出した。ちばはこの意見に同意し、これを基にラストシーンを描き上げた。その後、5日間は何もできず、「ご飯もおかゆしか食べられなくて、家族も心配していた」と週刊誌の取材に述べている。連載終了後しばらく、ちばはジョーの絵が全く描けなくなったという。また後年「今でもたまにジョーや力石のイラストを描くが、あの頃の迫力には全く及ばない」とも語っている。現在でも特に、ラストシーンについて、「ラストシーンの再現は無理。あの時のテンションには戻れない」とテレビ番組『行列のできる法律相談所』の「100人の絵で作るカンボジア学校健設プロジェクト」でジョーの絵を依頼された際に述べている。ジョーが燃え尽きるラストに関して、ちばてつや自身の発言には変遷が見られる。執筆当事のちばは、生死について全く考えていなかった。後のインタビューで「子供向けには「今日のリングに負けても、また明日も勝利を目指して戦い続けるジョー」」「大人向けには「文字通り真っ白な灰になるまで、燃え尽きるまで戦った男・ジョー」」という双方の生き方を読者それぞれが感じたまま受け止めてくれればいい、と語った。しかしながら続けて「自分の中ではこの終わりは(ジョーが死んだか否か)確実に決まっている」と発言した。さらに後年では、『タイトルに「あした」と付くくらいだからジョーは死んではおらず、明日も太陽に向かって白木葉子と共に歩き出していると思う』というジョー死亡説を否定するような発言もした。また2011年に熊本県湯前町の湯前まんが美術館での「あしたのジョー」原画展に合わせて、町農村環境改善センターで行われたトークショーにおいて、「丈は死んでいない」との発言をした。医学的な観点から論じると、疲労で死亡した場合、微笑むなどの顔の筋肉の運動や椅子に座った姿勢を保つようなことは不可能であるため、疲れて休んでいるだけに過ぎないと結論付けられるが、ちばはそういった医学考証の裏付けで作画した訳ではない。2014年にちばが、CS番組『漫道コバヤシ』に出演した最新のコメントによると「矢吹ジョーの生死に関しては、原作者梶原一騎の考えもあり既に故人である為、もう確実なことは言えない。自分が描いたのは、ジョーの燃え尽きた抜け殻がそこにあるという最後が全てであって、生死についてはどうでもよかった」と述べている。また、ジョーは生きているかもしれないという過去の発言は「心情的にジョーが生きていてくれた方がホッとするから、そう言ったのかもしれない」と弁明している。そして、いずれにせよ原作者が亡くなっている以上、想像の域を出ないことを示唆している。梶原の実弟である真樹日佐夫は、「死んだとは描いてない、白い灰はあくまで比喩」と語っている。漫画評論家の夏目房之介も、「ジョーの身体が次のページ方向を向いており、リングの線も同じように途切れずに向かっていることから明日があることを意味している」と解説した。
出典:wikipedia
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