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カトマンズの渓谷

カトマンズの渓谷(カトマンズのけいこく、Kathmandu Valley)は、ネパールの首都カトマンズのある盆地一帯のこと。ユネスコの世界遺産に登録されている。通常はカトマンズ盆地(ネパール語:काठमाडौं उपत्यका)と呼ばれる。周囲を標高の高い年中雪を抱くヒマラヤの山々に囲まれ緑深く、世界的にも貴重な歴史のあるカトマンズ、パタン、バクタプルという3つの芸術、文化性の高い都市を抱く。標高は、約1,300m。緯度は沖縄と同程度である。典型的なモンスーン気候。盆地内には、ガンジス川の支流であるバグマティ川などの川が流れ、耕作に適した大地が広がっている。チベットとインドを結ぶ交易の中継点でもある。カトマンズ盆地は、数千年前までは湖だったと考えられている。湖だったことは、この地の神話にも登場する。また、地層から淡水魚の化石が発掘されている。首都のカトマンズ市、ラリトプル市(パタン)、バクタプル市が行政区として存在している。1979年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録。ただし、ネパール政府は、カトマンズ周囲の景観とともに複合遺産として申請していた。また、急激な都市化により2003年~2007年の間危機遺産の指定も受けていた。なお、"valley" には「渓谷」「谷」のほかに「盆地」「流域」の意味があり、カトマンズは後者にあてはまる。一般に「カトマンズの渓谷」「カトマンズの谷」と紹介されているが、これは誤訳に近い。約8000年前までは湖だったことから、地盤がきわめて脆弱で、盆地全域に平均数百mの厚さの湖や河川堆積物が広がる。その上カトマンズ市内のボーリング結果では。特に上部20mは特に柔らかい。1833年のM7.9、1934年のビハール・ネパール地震(M8.1)、1988年の東ネパール地震M6.6など、ネパールでは1253年以来少なくとも16回の大きな地震が発生した。1997年までの100年間の記録の統計によれば、ほぼ12年に1回の大規模・巨大地震が起こった。1934年の地震の震央はカトマンズの東170kmで、盆地の建物の内約19%が倒壊し、40%が被害を受けた。ヒマラヤは、ユーラシア・プレートにインド・オーストラリア・プレートが衝突することによって作られており、現在も造山運動中であるため東西に延びる巨大活断層帯が存在し、数百年おきに巨大地震を起こしている。そのうえ、南北に延びる数カ所の大きな断層帯が存在する。さらにヒマラヤ自体が自重を支えきれず常に崩壊しており、推定で2200 - 1800万年前に北方へテチス堆積物の地層がすべりおちた。 心配されているのは、カトマンズ周辺とその西部に広がる「中部ヒマラヤ地震ギャップ」(空白地帯)である。カトマンズ盆地地震危機対策プロジェクトの被害予測(1999年)では、死傷者14万人、ホームレス60万人という。豊かな田園地帯の中心地域、観光の中心であるカトマンズ盆地に人が集まる。ネパールの他の地方は寒冷な山岳地帯であるため、教育・産業などがきわめて遅れており、人口がさらに集中し、貧しさによりスラム化した地域に伝統的工法により作られた脆弱な建物と、無いも同然のインフラの中で暮らしている。そのため地震被害に対してきわめて弱い。マッラ朝の統治時代の15世紀、カトマンズ、パタン、バクタブルにそれぞれ王子を配置。各都市は競って宮殿や寺院を建立。このころネワール様式の建築が花開いたといわれている。カトマンズの渓谷は2003年から2007年まで危機遺産に指定されていたこともあり、長らくユネスコは保存状態の定期的な管理を続け、2010年に世界遺産のための災害リスクの管理」を立ち上げたことで、2013年には国際シンポジウム「カトマンズ再考、生活都市遺産」を開催。2015年(平成27年)3月14~18日に仙台で開催された国連防災世界会議に伴う専門家会合の一環「文化財と防災」シンポジウムでも、地震多発地帯の一つとしてカトマンズの名が上げられていた。ネパール地震 (2015年)の発生をうけユネスコは緊急声明を発し、6月28日から7月8日に開催される第39回世界遺産委員会で緊急動議が図られることになった。日本では文化遺産国際協力コンソーシアムによるパタン宮殿の修復が2005年に行われている。

出典:wikipedia

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