下里 正樹(しもざと まさき 1936年12月28日 - )は、大阪市出身の元農林水産省職員で、元「赤旗」の記者(現在の「しんぶん赤旗」)。現在は引退して長野県に在住。木村愛二とは旧知の仲。松本清張の秘書役もつとめていたことがあり、清張の小説『もく星号事件』には、下里をモデルとした人物が登場する。のち、森村誠一の秘書もつとめ『悪魔の飽食』シリーズを共同執筆した。また、赤旗に掲載されている将棋・新人王戦の観戦記を書いていたこともあり、観戦記者としての筆名は奥山紅樹。1995年5月放送のテレビ朝日「朝まで生テレビ!」で、オウム真理教のサリン事件は、陸上自衛隊幹部や闇の勢力が宗教の名を借りたクーデター行為であると独自見解を主張した。1980年代初頭、日本共産党中央機関紙「赤旗」に連載された森村誠一の『悪魔の飽食』(後に光文社より刊行)の執筆・取材に協力した。この連載で731部隊に関する新事実を発掘した。1989年12月「赤旗」紙上において連載が開始された「日本の暗黒―実録・特別高等警察」の取材・執筆に参加。下里は、1990年代にいたり、その中で戦前の共産党幹部である市川正一が特高に屈服し供述に応じたという立場で執筆しようとしたが、「赤旗」編集局などの合意が得られず、1991年6月、連載は急に休載を余儀なくされた。その後、下里は『弘前民主文学』に連載していた「小説」(のちに『京子浪淘』として刊行)で市川屈服説を発表したことを理由に、1994年5月31日、党から本部勤務員解雇・党員権1年間停止処分(除名に次ぐ処分)を受けた。下里によれば、党機関紙赤旗紙上での規律違反公表後、赤旗編集委員会あてに手紙を出し、党内民主主義と憲法に反する高圧的な調査が7回にわたっておこなわれたなど解雇に至る事実経過について、党機関紙上で反論することを希望したが断られたという。その後、下里はそれへの公然とした非難を『文藝春秋』誌上に公表したため、同年11月11日、党から除名処分を受け厳しく批判された。
出典:wikipedia
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