龍光院(りょうこういん)は、京都府京都市左京区黒谷町にある、浄土宗大本山金戒光明寺の塔頭である。龍光院はかつて僧侶であった滝川雄利により建立された。滝川雄利の息女はたいへん器量が良く、北政所にも気に入られていた。北政所は秀吉が朝鮮に遠征した際、捕虜として連れてこられた李氏朝鮮の男性を、雄利の息女の召使いにと遣わした。ところが、息女は17歳の若さで亡くなってしまった。そこで雄利は息女の死を悼み、金戒光明寺に塔頭を建立した。そして息女の戒名の「龍光院」から名を取り、塔頭の名を龍光院とし、菩提を弔うことにした。息女の召使いは、息女が亡くなったのち出家し、宗厳と名のった。彼は長い修行の後、再び黒谷の地に戻ってきて、龍光院墓地の息女の墓の前で、念仏をひたすら唱えていた。宗厳はのち西雲院を建立し、念仏三昧の生活を送ることになった。その後、明治時代になり、廃仏毀釈などの影響もあり、一時住職がいないという時代もあった。現在の伽藍は隣地にあった別の塔頭を合わせたものである。本堂は建立当時のものと言われている。なお当寺院は金戒光明寺内の塔頭で、唯一寺院内の墓地を持つ。秋は紅葉が美しい。
出典:wikipedia
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