


九条 政忠(くじょう まさただ)は、室町時代の関白。関白九条満家の子。弟に九条政基・尋実がいる。子に政超(室町幕府第6代将軍足利義教の猶子・権僧正)・忠厳(准三宮・東大寺別当)・桓昭(法成寺平等院執印)・忠承(延暦寺大僧正)がいる。室町幕府第8代将軍足利義成から偏諱「成」を与えられ成家(しげいえ)と名乗る。のちに義成が「義政」に改名すると、重ねて「政」の字を与えられて政忠と名乗った。普門寺と号す。宝徳3年(1451年)12歳で従三位に叙せられる。康正2年(1456年)正二位に昇叙される。25歳で内大臣となるが、弟の政基との間に家督争いが生じ、隠居を余儀なくされる。その後も前内大臣のまま20年あまりを過ごしたが、文明19年(1487年)になって、内大臣一条冬良を超越してにわかに関白に任じられた。九条家に伝わった『公卿補任』の写本によれば「雖非摂家家督之人於一代者可被補当職之由後三縁院満教公被仰置東山殿御執奏云々」つまり政忠一代に限って関白にしてやってほしいという亡父満家の遺志に沿って足利義政がとりはからったことだという。政忠の隠居後も九条家では家督をめぐる紛争が続いていたことが推測される。翌長享2年(1488年)8月23日に49歳で死去した。
出典:wikipedia
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