まいまいず井戸とはかつて武蔵野台地で数多く掘られた井戸の一種である。東京都多摩北部地域から埼玉県西部に多く見られ、同様の構造を持つ井戸は伊豆諸島や群馬県の大間々扇状地などにも存在した。地表面をすり鉢状に掘り下げてあり、すり鉢の底の部分から更に垂直の井戸を掘った構造である。すり鉢の内壁に当たる部分には螺旋状の小径が設けられており、利用者はここを通って地表面から底部の垂直の井戸に向かう。「まいまい」はカタツムリの事であり、井戸の形がその殻に似ている事から「まいまいず井戸」と呼ばれる。「まいまいず井戸」は既に古代から存在し、武蔵野の歌枕として知られる「ほりかねの井」(堀兼之井、堀難井之井)がこれを指すものと見られる。など、和歌や文学作品に多数登場する。埼玉県狭山市堀兼に「堀兼之井」の旧跡が現存するが、「ほりかねの井」という言葉が、特定の井戸を指すものかどうかについては不詳である。「まいまいず井戸」全般を指す一般名詞とも考えられ、「まいまいず井戸」は武蔵野を象徴するものとして平安時代の都人にまで知られていたようである。江戸時代には「まいまいず井戸」に関する考証が盛んに行われたが、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「『ほりかねの井』と称する井戸跡は各地にあり、特定の井戸のことと定めるのは難しい」との記述がある。こうした独特の構造の井戸が掘られた背景には、武蔵野台地特有の地質学的背景がある。武蔵野台地は多摩川によって形成された扇状地であり、武蔵野台地には脆い砂礫層の上に更に火山灰の層があるため、特に国分寺崖線から上は地表面から地下水脈までの距離が長い。従って武蔵野台地では他の地域よりも深い井戸を掘らなければ地下水脈に達しないにも拘らず、地層が脆いために地下水脈まで垂直な井戸を掘ることが出来ない時代が長かったのである。そこで、一旦地表面からすり鉢状に地面を掘り下げて砂礫層の下の粘土層を露出させ、そこから改めて垂直の井戸を掘って地下水脈に至るという手段が採用された。一般の井戸に比べてこのような「掘り難い」方法によって掘られた井戸が「まいまいず井戸」である。
出典:wikipedia
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