串間市(くしまし)は、宮崎県の最南端に位置する市である。宮崎県の最南端、県都宮崎市の南南西約70kmの場所に位置している。東部は日向灘、南部は志布志湾に面する。海岸沿いは日南海岸国定公園に指定され、幸島・都井岬といった観光地がある。市域西部は鹿児島県と県境をなしている。市域全体において、あまり平坦ではなく、丘陵地帯が多い。夏は暑く、黒潮の影響により冬も比較的温暖である。夏から秋にかけては台風の通り道になることが多く影響を受けやすい。冬の温暖な気候を利用し、かつてはプロ野球チームの中日ドラゴンズが春季キャンプを行っていた。室町幕府3代将軍足利義満の子・義昭(ぎしょう)が現在の串間市北方にある永徳寺にて自刃した事件。室町最後の将軍である足利義昭とは別人であり、区別するために「大覚寺義昭」とも呼ばれる。室町6代将軍足利義教とは兄弟関係であるが、義昭は義教に謀反の疑いをかけられ京から逃れた。各地を転々とした後、日向国櫛間(今の串間)を治める野辺氏を頼って永徳寺に身を潜めるも居場所を突き止められ、嘉吉元年(1441年)3月13日義昭は永徳寺にて自刃した。永徳寺の敷地内には義昭の墓といわれる五輪塔が建てられている。義昭の記事も参照。江戸時代は鹿児島藩・飫肥藩に隣接していたが高鍋藩の飛び地(櫛間領)であった。串間の統治に腐心した藩は、代官、郡代の制度の上に更に都合職なるものをおいて、統治の強化をはかった。江戸時代の末期、串間から古代中国の王が権力の象徴として持っていたといわれる玉璧(ぎょくへき)が見つかったという記録がある。野辺は過去に2度市長を務め、2度とも不祥事に伴い辞職又は失職している。過去2度の事件は以下の通りである。2003年(平成15年)2月17日 串間市・日南市・北郷町・南郷町の4市町で「南那珂地域任意合併協議会」を設置したが、同年中に協議会は解散し、当面単独市制を継続することとなった。1994年の公選法改正以後、現職の自治体首長が連座制の適用を受け、当選無効の判決を受けるのは初めてのことだった。防衛省郵便番号は888-****市立これらの中学校は2017年に合併され、新設校は「串間市立串間中学校」とされる。校歌は同市在住のシンガーソングライター、いであやか(都井中学校卒業)が作詞作曲した。市立最寄り空港は宮崎空港。宮崎交通が運行していた路線の大半は廃止され上記のコミュニティバスに置き換えられている。但し、市木地区については現在も宮崎交通の路線(幸島入口 -南郷 - 飫肥)が存在する。市内に高速道路はなし。串間市は東九州自動車道のルート上にあり、インターチェンジの建設が計画されているが、施工命令が出ておらず開通の目処は立っていない。2015年現在の最寄りインターチェンジは東九州自動車道の曽於弥五郎インターチェンジまたは宮崎自動車道の都城インターチェンジ。主要地方道最寄りのフェリー航路※ロケも含む串間市は鹿児島県との県境に位置することから、条件次第では鹿児島県のテレビ局を視聴することができる。宮崎日日新聞のテレビ欄には「串間」のチャンネルとして鹿屋中継局の番号が記載されている。地上デジタル放送への完全移行に伴い放送波の出力が弱まったため、山間部において他県のテレビ放送波を受信することが難しくなった。また地域によってはmrtなどの宮崎県内を対象とした放送波すら受信が難しいこともあり、共聴受信設備を設けるなどの対応を行っている。しかし、串間市中心部や本城地区などの開けた場所であれば、依然として鹿屋中継局の電波や鰐塚山送信所の電波を受信することもできる。
出典:wikipedia
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