伊賀国(いがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。国府は阿拝郡に所在した。現在の伊賀市坂之下字国町にあたる()。1989年(平成元年)から1994年(平成6年)にかけての発掘調査により、I-IV期に分類される8世紀末から11世紀半ばにかけての遺構とともに、「国厨」の墨書を有する土器が検出された。政庁域は40メートル強四方で、主要建物群として正殿・前殿・左右脇殿の「品」字状の配置が認められている。これらの遺構は、2009年(平成21年)7月23日に「伊賀国庁跡」として国の史跡に指定された。延喜式内社守護所は、「府中」「こふ」と呼ばれた現在の伊賀市の東条・西条あたりと想定されている。伊賀国には有力な戦国大名は誕生しなかった。当時伊賀は群雄割拠の状態で、守護として入国した仁木兵部少輔も柘植氏に討たれた。のち仁木氏が国人達によって追放された後、阿加、山田、阿拝の3郡は六角氏、名張郡は北畠氏によって間接的な支配が行われた。天正9年(1581年)、直接的な支配を目指した北畠信意(織田信雄)により平定されている(天正伊賀の乱)。
出典:wikipedia
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