信濃大町駅(しなのおおまちえき)は、長野県大町市大町仁科町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)大糸線の駅である。大町市の市街地にある中心駅である。松本駅から連絡することで「東京と日本海とを連絡する」ことを目指して1916年(明治45年)3月3日に創立総会を開催した私鉄の信濃鉄道(現在のしなの鉄道とは無関係)が1916年(大正5年)7月5日に松本駅に隣接する松本市駅までを結ぶ形で開業したのが始まりである。この鉄道建設に当たっては大町市役場が高瀬橋東詰から大町駅までの線路用地全てと15,000円を寄付するなどの支援を行った。開業前は大町から松本まで一泊二日必要とされていたことから、この開通は当地に大きな変化をもたらすことになった。しかし、当駅より先は地形などの関係で敷設が困難であることから延伸が進まない状況が続いていたところに、軍事上の必要性などから国が当駅から糸魚川駅を結ぶ路線を建設することになり、1929年(昭和4年)9月25日に大糸南線として当駅 - 簗場駅間が開通することになった。(大糸線の線名の由来は、両端の駅一文字ずつを採ったものである)信濃鉄道は、1926年(大正15年)1月8日 に全線電化して旅客列車を電車化したが、1937年(昭和12年)6月1日に国有化された。1957年(昭和32年)8月15日に中土駅 - 小滝駅間が開通して全線開通し、大糸線と改称した。1959年(昭和34年)7月17日には当駅 - 信濃四ッ谷駅(現・白馬駅)間を電化し、1960年(昭和35年)9月には松本駅 - 当駅間の貨物列車も電化した。黒部トンネル開通翌日の1971年(昭和46年)4月26日に特急「あずさ」の乗入れを開始し、立山黒部アルペンルートが当駅を起点として1971年(昭和46年)6月1日に開通した。1966年(昭和41年)4月に名古屋発の急行「つがいけ」が季節列車として乗入れを開始し、1982年(昭和57年)11月15日のダイヤ改正で急行「つがいけ」が特急列車化されて特急「しなの」に統合された。しかし、高齢化の進展などの影響も受けて利用者が減少したことから、2010年(平成22年)3月13日に当駅始発の特急「あずさ」は廃止となった。この廃止の年には、JRの「信州デスティネーションキャンペーン」に向けて駅舎を山小屋風に改装し、同年7月22日に式典を行って新装開業した。2014年(平成26年)11月22日に発生した長野県神城断層地震により、白馬大池駅 - 千国駅間の線路沿いのがけ崩れに伴う土砂の流入や簗場駅 - 南神城駅間での路盤の液状化などの被害が出たため、当駅 - 糸魚川駅間は23日まで運休した。このうち24日に平岩駅 - 糸魚川駅間が本数を減らして運行を再開し、25日には当駅 - 白馬駅間の運転を再開。同年12月7日に白馬駅 - 南小谷駅間の運転を再開を再開して大糸線の全線が復旧した。特急列車を含む全列車が停車するほか、普通列車のほとんどが当駅を始終着としている。当駅から北(南小谷方)ではほとんどの列車がワンマン運転となり、夜間滞泊もある大糸線の要衝となる駅である。大糸線内では起点の松本駅に次いで利用者数が多い。直営駅であり、管理駅として細野駅 - ヤナバスキー場前駅間の各駅を管理している。駅舎内部にはみどりの窓口(営業時間:5:20 - 20:00)、自動券売機、指定席券売機、。また、構内でコンビニエンスストアが営業を行っている。。駅舎は2010年の改装により、屋根の形状などを変更して山岳都市をイメージした山小屋風となった。長野県産杉材を壁に利用している。東洋紡績大町工場と昭和電工大町工場へ続く専用線が存在していた。1956年(昭和31年)に開始された関西電力が黒部川第四ダムを建設時には資材約60万トンの輸送が必要となり、既存の路線と設備では対応困難として専用線が設置された。この専用線は北大町駅まで本線に併走しており、そこから扇沢までは道路を新設して運搬された。また、東信電気(東京電力の前身の1社)が高瀬川水系に発電所建設を行った際には、駅前から建設資材を運搬する貨物軌道が運行していた。開業当初の5年間、当駅が当時の北安曇郡内の駅では最大の乗降客数であった。2014年(平成26年)度の1日平均乗車人員は1,284人。開業前後には、元々の旧市街地では九日町や上仲町、下仲町などが商業の中心として栄えていた。駅の開設に伴い、下仲町から当駅までの道路が建設され、仁科町にも飲食店などが並ぶ商店街が形成された。"詳細は当該記事参照"全路線休日と12月29日 - 1月3日運休
出典:wikipedia
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