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阿蘇神社

阿蘇神社(あそじんじゃ)は、熊本県阿蘇市にある神社。式内社(名神大社1社、小社1社)、肥後国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社である。古くは「阿蘓神社」とも表記された(現在も銘板が存在)。古代からの有力氏族である阿蘇氏が現在も大宮司を務め、現在の大宮司は阿蘇治隆である。熊本県北東、阿蘇山の北麓に鎮座する。全国的にも珍しい横参道で、参道の南には阿蘇火口、北には国造神社が位置していると言われている。中世の戦国期に肥後中部で勢力を誇示していた阿蘇氏と縁の深い神社である。以下の12柱の神を祀り、阿蘇十二明神と総称される。孝霊天皇(第7代)9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝える。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。国史では、「健磐竜命神」および「阿蘇比咩神」に対する神階奉叙の記事が見え、健磐竜命神は天安3年(859年)に正二位勲五等、阿蘇比咩神は貞観17年(875年)に従三位までそれぞれ昇叙された。延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では肥後国阿蘇郡に「健磐龍命神社 名神大」および「阿蘇比咩神社」と記載され、健磐龍命神は名神大社に、阿蘇比咩神は式内小社に列している。中世以降は肥後国一宮とされて崇敬を受け、広大な社領を有していたが、豊臣秀吉の九州征伐の際に社領を没収された。その後、改めて天正15年に300町の社地が寄進され、さらに、領主となった加藤清正、熊本藩主として入国した細川氏によって社領の寄進、社殿の造修が行われた。1871年(明治4年)、近代社格制度において国幣中社に列し、1890年(明治23年)に官幣中社、1914年(大正3年)に官幣大社に昇格した。2016年(平成28年)4月16日に発生した平成28年熊本地震により、楼門と拝殿が全壊、境内の3箇所の神殿も損壊した。東向きに還御門、楼門、御幸門があり、境内には社殿が3棟ある。「日本三大楼門」に数えられる楼門は、高さが18mあり、神社では珍しい仏閣の様式で建てられた二層楼山門式である。御田植神幸式は「おんだ祭り」とも呼ばれる。この祭りは「ウナリ」という頭に唐櫃を乗せた女性の姿が印象的といわれる。かつては泥打ち(のろうち)が行われていたが、現在は大筋では変化はない。前日には「遷座祭」として、4つの神輿に神々が移される。一の神輿には一宮、二の神輿には二宮、三の神輿には男性神(三、五、七、九、十一、十二宮)、四の神輿には女性神(四、六、八、十宮)と阿蘇十二神がすべて神輿に移される。次いで「例祭」として、28日に御田植神幸式が行われる。昼前に出発し、一の仮屋(御旅所)に昼過ぎに到着する。仮屋には神饌が供えられる。祝詞奏上、直会(なおらい)が行われ、酒を飲み食べる。駕与丁(かよちょう)が御田歌を歌ったのち、神輿を担いで回る。その時神職や氏子たちが神輿の屋根をめがけて苗を投げる。屋根に苗が多く乗ると豊作という。二の仮屋に進み、同じ神事を行なったのち本社に戻る。式が終わると歌い納めが行われる。そして神職が成就祭を行う。翌29日には再び「遷座祭」として阿蘇十二神が神殿に戻される九州を中心として日本全国に約450の分社がある。また、男成神社・小一領神社・宮原両神社・国造神社なども当社の系統である。矢村社(やむらしゃ)・矢村神社とは、阿蘇神社の主神である健磐龍命や阿蘇氏に関係する神社の一つで、山都町など阿蘇周辺に点在している。

出典:wikipedia

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