古くは1927年、有元史郎が東京大森に創設した東京高等工商学校を前身に、現在の芝浦工業大学が創立されたのは1949年の学制改革の時である。現在は工学部、システム理工学部、デザイン工学部がある。次のような理念に基づく実学教育を行っている。1927年、東京大森に各種学校・東京高等工商学校として創立。太平洋戦争中の1943年には、交通の便が悪いという声が多く出たため、学校を大森から現在の芝浦に移転し、芝浦高等工学校に校名を改める。そして1944年、専門学校の設置認可が降り、芝浦高等工学校を廃止し、芝浦工業専門学校を設置する。大戦後まもなくには、大学設置を目指し、千葉工業大学への統合案がでるが、両校の教育理念の違いから構想は幻に終わる。1949年の学制改革の際、新制大学・芝浦工業大学を設置するとともに、芝浦工業専門学校を廃止し、現在に至る。北原白秋作詞、山田耕筰作曲。有元史郎が北原白秋に作詞を依頼し、1941年に完成した。北原白秋が作詞したのは東京高等工学校のもので、現在は学校名を変えて歌われている。カラオケのDAMの一部機種で歌うことが可能である。学生上部団体の「工学部学生会」(通称:学生会)と「システム工学部学生自治会」(通称:シス自)が存在する。また、文化系サークル連合として「芝浦工業大学文化会」、体育会サークル連合として「芝浦工業大学体育会」がある。学園祭は11月に豊洲キャンパスで開催される「芝浦祭」と、5月に大宮キャンパスで開催される「大宮祭」がある。全学部の1年次生、2年次生が就学する。敷地の4割ほどが雑木林である。敷地内には、日本人学生と留学生が生活を共にする、「SITグローバルコモンズ(国際学生寮)」がある。今後大学の都心回帰により、豊洲第2校舎が完成次第統合、廃止される計画となっている。2006年に開設されたキャンパス。豊洲キャンパスは、3万平方メートルの敷地面積がある。キャンパス内の大学生協や学食では、Suica及びPASMOでの支払いが可能である。凱旋門のような形をした研究棟、教室棟、交流棟の3つの建物があり、それらは渡り廊下で結ばれている。それぞれの建物は免震構造を持ち、渡り廊下は伸縮できるものとなっている。また、冷暖房システムはIHI本社ビルから供給を受けている。キャンパス開設にあたって、周囲との開放性を失う塀のようなものの建設は、当該地区の再開発計画において禁止されていたため校門は無い。大学側が校門の代わりに学校のシンボルとなる物を模索した結果、凱旋門のようなデザインの研究棟ができた。今後豊洲第2校舎を整備する計画があり、全学年が1つのキャンパスで学習できる環境の整備を予定している。2009年に、旧芝浦キャンパス跡地に開設されたキャンパスで、芝浦ルネサイト内にある。"この項目は、のを使用しています。" "144859
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