血液型性格分類(けつえきがたせいかくぶんるい)とは、血液型によって人の性格を分類したものを指す。科学的には血液型と性格に関係があるとはされておらず、現時点で知られている血液型性格分類はいずれも正しいとは認められていない。だが1970年代から2000年代前半にかけて、多くのテレビや書籍が根拠なく分類を広めたため、いまだに血液型と性格の関連性を信じている人もいる。血液型性格分類が広まっているのは、日本とその影響を受けた韓国、台湾といった一部地域だけであり、それ以外の地域では性格と血液型を関係づける習慣がなく、日本の血液型性格分類は奇妙に思われている。そもそも血液型への関心自体が薄く、自分の血液型を覚えていない人も多い(輸血が必要な時などは、その場で血液型検査が行われる)。血液型によって人の性格を判断し、相手を不快や不安な状態にさせる言動はブラッドタイプ・ハラスメント(通称ブラハラ)と呼ばれ、近年になり社会問題として取り上げられるようになった。採用試験の応募用紙に血液型の記入欄があったため、改善するよう労働局から指導された企業もある。厚生労働省は「血液型は職務能力や適性とは全く関係ない」と呼びかけている。血液型性格分類に科学的根拠がないとされるにもかかわらず当たっているように感じる理由として、以下の心理現象が挙げられている。これらの現象は血液型性格分類以外の様々な性格テストや占いにおいて同様に生じることが知られている。ブラッドタイプ・ハラスメント(通称:ブラハラ)とは、血液型によって人の性格を判断し、相手を不快や不安な状態にさせる言動のこと。血液型を意味するブラッドタイプ()と、嫌がらせを意味するハラスメント()を組み合わせた和製英語である。学校や職場などの社会でブラハラが起こった場合、イジメなどの人間関係の問題、不適切な人事異動などに発展する可能性がある。多くの研究において、血液型と性格の間に関係があるとは結論づけられておらず、血液型性格分類は疑似科学だと言われることもある。血液型性格分類が正しいと言うためには、科学のルールに沿って集めたデータから、「確実な証拠」を示す必要がある。中には、血液型と性格の関連を示す科学的なデータがあると主張している人たちもいるが、多くの研究者はそれが「確実な証拠」だとは認めていない。科学のルール上「血液型と性格は関係ない」と断言することはできないものの、「いまのところ血液型と性格に関係があるとは言えない」という考えがおおむね支持されている。心理学の分野において血液型と性格(パーソナリティ)の間の因果関係は認められていない。例として、日本とアメリカ合衆国における1万例以上の社会調査データを用いた2014年の研究においても、血液型と性格に意味のある関連性は見出されなかった。心理学者の村上宣寛も複数回検証しているが、いずれも上と同様の結果となっている。日本パーソナリティ心理学会では、一般からの問合せに回答する形式で「いまのところ血液型と性格に関係があるとはいえない」と、理事の渡邊芳之が解説している。パーソナリティの類型論の誤りの事例(体型など、本来パーソナリティとは関係ない要素をパーソナリティと結びつけようとするもの)のひとつとして、心理学教育の場で血液型性格判断が紹介されることもある。医学の分野においては、性格に影響があるとされる遺伝子の存在は指摘されているが、血液型と脳細胞の活動の関係を証明したものはなかった。しかし2010年代に研究が進み、神経伝達物質であるドーパミンと血液型遺伝子が関係しているという仮説などは提唱されている。 血液型と病気の関連性については1980年代には持てはやされていたが、ヒトゲノム計画が終りつつあった2000年に、科学雑誌『Nature』にて総説が掲載され、その内容は「胃腸管に関するいくつかの形質に弱い相関が確認できるが、血液型と疾患の相関については再現性よく示されたものは無い」というものであった。その後の研究では、健康面(ストレス抵抗性や病気のリスク)へ影響があるという報告は存在している。テレビや雑誌などの調査では「関連性がある」とする科学的根拠が具体的に提示されない場合があり、そのため前提となるデータ自体が少人数を対象にしたものであったり、すでに血液型の固定観念が刷り込まれた人を相手にしたものであったり、設問が誘導的なものであるなど、様々な不備が存在する可能性が考えられる。本来、統計調査を行う際は標本の数を十分確保することと、標本集団を偏りなく選定することが理想であるが、それができない場合には(通常完全にはできないのだが)信頼できる結論は得られない。学者による、十分な数の標本集団で、十分管理された統計においては、複数年にわたって特定の血液型と特定の性格に明確な関連性を示すデータは得られていない。西洋では歴史的に見て、性格を類型に分類し、それとは別の類型との関係を論じる説が提唱されてきた歴史がある(類型学)。例えば、医学の基礎を作ったヒポクラテスは「体内には血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液という4種類の体液があり、これらのバランスが崩れると病気にかかる」と述べ、また「体液のバランスが性格にも関わる」と述べた(四体液説)。ヨーロッパでは中世まで、こうした説が信じられていた(現代の医学は、医聖ヒポクラテスに敬意を払ってはいても、これらの説に関してはナンセンス、と判断している)。ドイツでは当時ハイデルベルク大学のガン研究所の教授だったE・フォン・デュンゲルン()博士が動物の血液型を調べたところ、「チンパンジーは全て同一の血液型であることがわかり、他の動物はチンパンジーと異なる血液型であることが多い」ことを発見した。ドイツに留学しデュンゲルン博士のもとで学んだ医師の原来復(はら・きまた)は、1916年に「血液ノ類属的構造ニツイテ」という論文を発表。血液型と気質の関連を科学的な研究対象にしようとする試みであった。しかし、原のこの論文では、まだ関係性を断定するような言い回しは使っていなかったようである。当時は、(現代からは想像できないくらい)人種差別が激しい時代だったので、デュンゲルンや原はその時代における風潮の影響を受けた可能性がある。この時代は西欧に限らず優生学(人間を遺伝によって選別しようという人種差別的発想を多く含む学問や疑似科学類)が大きな影響力を持っており、その根拠として血液型分類が論理的にまとめられようとしていた。「○○人は血液型が...型だから優秀なのだ。○○人は血液型が...型だから劣るのだ」といったような説明(現在では間違いとされる病的科学)がまことしやかに学説として唱えられていた。ナチス・ドイツも人種差別を正当化するために、血液型性格診断を利用していた。血液型の遺伝の仕組みは当時から知られていたため、「血液型=性格」であれば性格は遺伝で決まることになり、「ドイツ人遺伝子は優秀」だとしたい彼らにとって好都合だった。1932年にドイツで出版された『血液型便覧』には「ドイツ人に多い血液型」を優れた血液型とし、「高い知能」「勤勉」などと肯定的なことが書かれ、一方で「ユダヤ人やアジア人に多い血液型」を劣った血液型として、「暴力犯罪者」「精神薄弱」「感染に弱い」などと非常に否定的なことが書かれた。昭和初期には、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授であった教育学者古川竹二が、血液型と気質の関連を科学的な研究対象にしようとする一連の試みが広く注目を浴びた。古川の最初の論文は、1927年に『心理学研究』誌上に発表された「血液型による気質の研究」である。その後に一連の試論の集大成として1932年に『血液型と気質』が出版された。同書の内容が古川学説とされることが多い。古川学説は、当時金沢医科大学教授であった古畑種基らに支持され、心理学だけではなく、医学、教育など多くの分野で注目を集め、その影響下で多くの調査がなされた。このため数多くの追試が行われたが、血液型と気質の関連を論じる際に例外が多過ぎることから最終的に古畑は懐疑的になり、結果的には当時の学会で古川学説は否定された。大日本帝国陸軍においても古川学説の影響を受け、血液型から将兵の気質・能力を分類することで、部隊編成の際に最も適した兵科・任務にあてることができるとの考えから、各部隊から将兵の調書を集め研究が行われた。1926年、当時の大日本帝国陸軍軍医の平野林と矢島登美太が、「人血球凝集反応ニ就テ」を『軍医団雑誌』に発表した。これは、血液型から兵隊としての資質を判定したものであった。統計的に意味のある結果は出なかったものの、科学的考察を加えるに足るものとして唱えられていた。しかしその後の同様の研究では、期待した結果は得られず、1931年に中止された。また東京朝日新聞に、「児童の気質調べに奇怪な血液検査-小石川窪町小学校の保護者から厳重な抗議申し込み」という記事が掲載された(1928年)。このように当時から一般庶民からの批判もあった。最終的には、1933年日本法医学会総会において古川学説は正式に否定された。第二次世界大戦後は長らく取り上げられることがなかったが、古川学説に影響を受けた能見正比古が、1971年に『血液型でわかる相性』、続いて1973年に『血液型人間学』など一般人向けの著作を発表・出版。これによって血液型性格分類が広く知られることとなった。また戦前の「血液型と気質」という言い方が「血液型と性格」という言い方に替えられたのも、この能見正比古の著書からである。これらの本で能見正比古・能見俊賢親子は、様々な調査を行い独自の理論を展開したが、現在では多くの専門家や学会からは正当性のないものだとされている。能見正比古・俊賢親子は、10万人分以上のデータを集めているため、一見母集団からの標本抽出にムラがないものと感じられる。しかし能見親子のデータの収集は、能見の著書『血液型でわかる相性』などの読書カードを送り返してきた人だけを対象に行ったものだと息子の俊賢が語っている(その他に講演会の参加者や協力者などもある)。そのため最初から母集団に大きな偏り(バイアス)が生じており、偏りのないことを前提とした通常の統計手法を用いたこと自体が間違いだったと指摘されている。。その後、台湾、韓国、中国でも若干数、血液型と性格に関する書籍や論文が書かれている。テレビ番組は頻繁に血液型による性格分類やそれによる相性などを紹介してきた。例えば捏造で話題となった『発掘!あるある大事典』の報道が代表として挙げられる。地上アナログ放送では2004年2月21日からの1年間だけでも、約70本もの血液型性格関連説に関するテレビ番組が放映された。中には特定の血液型を肯定的に扱い、特定の血液型を差別的に扱ったものもあった。日本人を対象にした調査では、過半数が血液型性格分類に肯定的な態度を示すとともに血液型性格分類の話を好んでいるという報告もあった。一般社会への浸透にはテレビが大きな役割を果たし、これらの番組が血液型への偏見、固定観念を広めたとされる。そして、テレビ番組によってイジメや差別が助長されたと感じる人々から放送局はクレームを受けることとなった。BPO(放送倫理・番組向上機構)は2004年に、「血液型によって人間の性格が規定されるという見方を助長することのないよう要望する」との声明を発表。民放連の放送基準「第8章 表現上の配慮」54条に抵触するとして、「血液型判断に対し、大人は“遊び”と一笑に付すこともできるが、判断能力に長けていない子どもたちの間では必ずしもそういうわけにはいかない。こうした番組に接した子どもたちが、血液型は性格を規定するという固定観念を持ってしまうおそれがある」とした。性格分類の肯定者の中には「血液型による性格分類は根拠がないという立証はされていない」(ゆえに間違いではない)といった見解を述べる人もいる。テレビ番組制作側は、こうした意見を後ろ盾に血液型性格分類を扱う番組を作っていた部分もある。実際、BPOからの指摘に対し、一部のテレビ局はそのような趣旨の回答をしていた。しかし、医学的・心理学的な裏付けがないものを既成事実としてメディアが流し誤った認識や偏見、差別意識を世間に植え付けたことこそが問題であり、人々から批判を受けることとなった。そのような指摘を受け、血液型性格分類を扱う一部の番組では最後に「血液型ですべてが決まるというわけではありません。決めつけや偏見は絶対にやめましょう」等といった形ばかりの注意喚起がなされるケースもあった。現在、テレビ番組などにおいては血液型性格分類に関する特集や出演者によるそのような話題は無くなりつつあるが、一部の週刊誌などでは(激減したとは言え)こういった話題を取り上げるものが残っている。偏見やステレオタイプや認知のひずみといった問題を重要な研究テーマとしている社会心理学(科学社会学)でも近年研究が進んでいる。血液型性格分類が社会に流布する仕組みや、このような説が流布することによって人の認知にどのようなひずみが生じるのか、あるいは「信じているように振舞う人の動機は何か」といった角度から研究されており、論文が多数書かれている。近年では、「血液型」および「性格」という言葉がタイトルに含まれる論文では、こういった社会心理学側からの論文が主流になりつつある。血液型性格分類はABO式血液型による分類を指すことが大半であるが、白血球型なども含めた血液型全般による分類を指すこともあった。
出典:wikipedia
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