LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

耶律雅里

耶律 雅里(やりつ がり、契丹音:ヤリュート・ヤーリ)は、北遼の第3代皇帝。天祚帝の次男として生まれる。生母は蕭元妃(小字は貴哥。蕭奉先と蕭皇后の妹)。7歳の時に父帝から梁王に冊封された。保大2年(1122年)2月に父帝が、入来山で金の太祖と戦って大敗し、長春に逃れた。すると翌3月、皇族の耶律大石が李処温らとともに、雅里の従大叔父の耶律涅里を擁立し、勝手に天祚帝を「湘陰王」に格下げして「北遼」を建国してしまった(天錫帝)。しかし、天錫帝は6月に61歳で崩御し、その皇后だった蕭徳妃(普賢女)が摂政となり、同母弟で皇太子の秦王・耶律定(天祚帝の五男)が擁立された。しかし、翌保大3年(1223年)正月に金の太祖は都の南京を陥落させ、大石らは蕭徳妃を奉じて、長春から雲中の陰山に移動していた天祚帝を頼った。だが、天祚帝は「おば」の蕭徳妃に対して、自分に無断で天錫帝を擁立し自分を「湘陰王」に格下げした罪を問い、陰山に逃げてきた翌月に処刑してしまった。同年5月、天祚帝に絶望した大石ら遼の大臣たちは、再び「北遼」を建てて、父帝から自立した梁王・雅里をその皇帝に擁立して拝謁した。しかし雅里は同年10月に崩御した。享年31。そのため、大臣たちは天錫帝の従弟の耶律朮烈(英宗)を擁立した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。