ユーロビジョン・ソング・コンテスト2009は、第54回のユーロビジョン・ソング・コンテストであり、2009年5月12日から5月16日にかけて、ロシア・モスクワのオリンピック・スタジアムにて開催された。コンテストでは、ノルウェー代表として「」を歌ったアリャクサンドル・ルィバークが、史上最高得点の387点を得て優勝した。2位はアイスランド、3位はアゼルバイジャンであった。前年までとは投票方式が変更され、決勝では各国の審査員による投票が再導入され、電話投票と併用される。準決勝は前年までと同様である。42箇国が参加を表明している。スロバキアは今年から大会に復帰すると表明し、他方でサンマリノは資金的な理由により今年の参加を見送る。ラトビア、グルジアは参加辞退を表明していたものの、欧州放送連合が後に、両国は大会に参加すると言明した。しかし、その後グルジアの参加曲は曲名や歌詞が政治的であるとして欧州放送連合がこの変更を求め、グルジア側はこれに対して大会への参加の辞退を表明した。大会の司会は準決勝がナタリア・ヴォディアノヴァとAndrey Malahov、決勝がIvan Urgantとアルスーである。大会は、前年にベオグラードで行われた2008年大会でロシアのジーマ・ビラーンが「」を歌って優勝したことにより、ロシアが開催国となる。モスクワ市長は難色を示したものの、首相のウラジーミル・プーチンは直ちに、同大会がモスクワで開催されるとした。また、大会を主催するチャンネル1は、モスクワのオリンピック・スタジアムを会場とすることを提案した。この提案は欧州放送連合によって審議され、2008年9月13日に認められた。大会を監修するヴラジーミル・チュリーリン( / "Vladimir Churilin")は、会場の緊急改修が必要になるとの噂を否定し、「ユーロビジョン・ソング・コンテストのために改修をする必要はない。我々はいつでも2万5千人までの観衆を受け入れ可能だ。」と述べた。ニューヨークを拠点とするデザイナーのジョン・キャシー(John Casey)がステージのデザインを手がける。舞台はコンテンポラリー・ロシア・アヴァンギャルドのテーマに基づいたものとなる。キャシーはかつて、ダブリンで行われた1997年大会のステージのデザインも手がけている。キャシーは「かつて1998年のモスクワでのTEFI賞でロシア人と仕事を共にした頃よりも前から、ロシア・アヴァンギャルド期の芸術、とくに建築家に着想され、ひきつけられてきた。大会の舞台のデザインには、ほぼ全てが異なる種類のLEDスクリーンで構成される、現代的なロシア・アヴァンギャルドを持ち込むことに挑戦した」と話している。キャシーはまた、「各種のLEDが集まって完成された姿を形作る。舞台の大部分は可動式であり、環形の一部を切り取った形をした数多くの曲面LEDスクリーンも全て可動式で、曲に合わせてことなる雰囲気を作り出すことができる。」とした。各国それぞれの代表が歌う前の導入部で用いられたビデオ・クリップは、以下のようなものであった:大会を主催するロシアのチャンネル1()は、2009年大会のロゴとテーマを発表した。副ロゴは伝説の鳥を元にしており、多彩な色で描かれている。これまでの大会と同様、副ロゴは通常のロゴとともに使用される。この年の大会では、2001年大会以降はじめて、大会のスローガンはなしとなった。大会の形式に関する議論は、2008年6月にギリシャのアテネで開かれた欧州放送連合の会合でなされた。このときの提案では、フランス、ドイツ、スペイン、イギリスの「Big 4」を自動的に決勝進出とする従来の形式の廃止を求めていた。しかし、後に「Big 4」の決勝進出は保障されると言明された。政治的な論争を引き起こすような、近隣国や移民による投票に関する大会を放送する各国の放送局からの不満に応えて、欧州放送連合は、2009年大会での投票方式の変更の可能性をもって、投票方式の見直しを行った。欧州放送連合は、参加する各国の放送局に対して質問状を送り、それに基づいて調査団は2009年大会の投票形式の案に各放送局の要望を反映させていった。ポーランドで大会を放送するポーランド・テレビは、ユーロビジョン・ダンス・コンテスト2008で用いられたのと同様の国際的な審査員を取り入れることを提案し、それによって近隣国による相互投票の効果を減らし、曲の芸術的価値に基づいた評価が反映されるとした。その結果、コンテストの決勝では、各国は電話投票の結果と審査員の判断とを50%ずつ反映して他国に投じる得点を決めることが決定された。準決勝の選考方法は前年までと同様であるが、準決勝の上位9エントリは決勝に進出し、10エントリ目は審査員によって選ばれる。審査の方法の詳細については、12月の調査団の会合の後に発表される。各国の審査員の仕組みは1997年以降縮小し、他方で2003年からはほぼ全ての国で電話投票となっていた。オーストリアのオーストリア放送協会の娯楽の責任者・エドガー・ベーム(Edgar Böhm)は、決勝に進出する10エントリのうちの1つを審査員が選ぶ2008年の方式でもなお、多くの国々による政治的な選好による投票を許してしまう」として、「欧州放送連合によって、準決勝の構成について明確なガイドラインが制定されない限り、オーストリアはモスクワでの2009年大会には参加しない」と言明していた。決勝で審査員を導入する決定にも関わらず、準決勝に関する問題のため、オーストリアは2009年大会にも参加しないことを決めた。2008年同様、国内への決勝の放送はされる予定である。2009年1月30日、各国が2つの準決勝のうちいずれに入るかが決定された。2008年大会と同様に、まず全ての参加国は過去の投票傾向にしたがって6つの組に分けられる。組分けは、相互に高得点を投票しあう可能性の高い国が同じ準決勝の中に入らないように決められる。作成された6つの組の中から、どの国が準決勝の1日目に、どの国は2日目に参加するか選ばれる。準決勝に参加せずに決勝に進む国々のうち、ドイツ、スペイン、イギリスは1日目の準決勝に投票し、フランスとロシアが2日目に投票することも決定された。準決勝と決勝の登場順序と、投票順序は2009年3月に発表される。欧州放送連合による最終的な参加国の一覧が発表され、43箇国が2009年大会に参加することが確認された。参加国の中には11年ぶりに大会に参加するスロバキアもある。グルジアは、主催国ロシアとの南オセチア紛争に抗議して不参加を発表していたが、ジュニア・ユーロビジョン・ソング・コンテスト2008での優勝や、同大会でロシアからグルジアに12得点が送られたことなどから、一転して大会への参加を決めた。欧州放送連合のユーロビジョンのスーパーバイザー・は、モスクワでの大会に参加する国の数は最多となる、つまり44箇国以上の国が参加する可能性があったが、今はその可能性は低いとた。最終的に、42箇国が大会に参加した。サンマリノやモナコが大会に参加するといった噂が起こった。モナコの放送局・テレ・モンテ・カルロ()は、2009年の大会復帰に関して欧州放送連合と話し合いがあったことを認めた。同じ頃、サンマリノの放送局、サンマリノ国営放送()が、2008年大会での不振を理由に2009年大会への参加を見送るとの噂が流れた。最終的に、サンマリノは参加への意欲を表明したものの、資金面での困難により、大会への参加を辞退せざるを得ないとした。ラトビアの放送局・ラトビア国営放送()が、2009年大会への参加を取りやめることが、最終的な参加締め切りの3日後である2008年12月17日に報じられた。これはラトビア国営放送の2百万ラッツ以上の経費削減によって、参加費用の捻出が困難になったことによる。ラトビア国営放送は、欧州放送連合に対して、資金面の困難を主理由として参加辞退の意図を伝えた。ラトビア国営放送は、ユーロビジョン・ソング・コンテストに参加する道を模索し、欧州放送連合と話し合いに入った。2008年12月20日、ラトビア国営放送は参加の取りやめを発表し、また欧州放送連合とチャンネル1はラトビアに対して締め切り後の参加辞退に対して罰金を課さないことで合意した。ラトビア国営放送はまた、2010年大会への参加意欲を表明した。しかし、2009年1月12日、ラトビアが2009年大会に参加することが発表された。参加する国々は、それぞれ各国独自の国内選考で代表者を選出する。放送局による内部選考で代表するアーティストと楽曲が決められた国もあれば、国内大会を開催し視聴者も参加しての選考が行われた国もあった。2009年の各国代表の中には、過去のユーロビジョン大会に参加した経験のある2人のアーティストがいた。1998年大会と2005年大会に参加したマルタの、2004年大会に参加したギリシャのサキス・ルーヴァスが共に2009年の本大会に参加している。38の国々が、1日目あるいは2日目のいずれかの準決勝に参加する。準決勝の組み合わせは2009年1月30日に発表された。○=決勝進出国以下は登場順である。主催国のロシアと「Big 4」の国々は、準決勝に参加せずに直接決勝に進むことができる。したがって以下の5箇国は決勝から参加することになる。最終的に決勝には25箇国が参加する。◎=Big4(永久シード権保有国) ○=主催国決勝では、視聴者投票の開始時には、国際宇宙ステーションと中継がつながり、日本人の宇宙飛行士・若田光一がカウントダウンによって視聴者投票の開始を告げた。決勝では、以下の順序で各国からの得点が公表されていった。以下の表は、最高得点である12点がそれぞれどの国からどの国に与えられたかを示す:グルジアが5月12日の準決勝1に参加することが決定してから、グルジア代表を選出する国内大会が開かれた。選ばれたの楽曲「」は、その歌詞がロシア首相ウラジーミル・プーチンに関する政治的暗喩を含んでいるのではないかとする理解に基づく論争が起こった。欧州放送連合は政治的暗喩を理由として、これを大会規定に反すると言明し、この楽曲を拒絶した。欧州放送連合は3月10日、グルジアでの放送を担当するグルジア公共放送()に対し、歌詞を変更するか別の楽曲を選ぶよう求めた。グルジア公共放送は変更要求を拒み、この楽曲には政治的な示唆は含まないと反論し、欧州放送連合による拒絶はロシアからの政治的圧力によるものだとした。このようにして、3月11日にグルジア公共放送はグルジアの大会不参加を決定した。欧州放送連合はこれに対して特にコメントはしなかった。5月11日、このバンドは楽曲に政治的な含意があることを認め、その目的がモスクワでプーチンを当惑させることであったとしている。彼らは、欧州放送連合が彼らのメッセージを大会から排除したと主張した。同性愛は悪魔的であるとするモスクワ市長ユーリ・ルシコフへの抗議として、ロシアの同性愛者の権利活動家ニコライ・アレクセエフ()は、ロシアで大会が開かれることを、同国のLGBTの人々の権利状況をアピールするために利用した。アレクセエフは、毎年行われるモスクワのプライド・パレードであるを、2009年は国際反ホモフォビアの日の前日にあたる5月16日とするつもりだと発表した。パレードは「スラヴ・ゲイ・パレード」と銘打ち、ヨーロッパの全てのスラヴ人の同性愛者の権利を広報するものとした。モスクワ市当局はパレードを「社会秩序を破壊する」として拒否した。そして、参加者には「強く」対処する、「強い措置」は全てのパレード参加者に対して取られるとする声明が発表された。ユーロビジョン決勝の日に行われたパレードでは、ニコライ・アレクセエフや、この動きが「ロシアの人々が自由ではないことを示すもの」としていた人権活動家のピーター・タッチェル()を含む20人の参加者がモスクワ警察に逮捕された。ユーロビジョン大会のスウェーデン代表であるは抗議者を支持し、自身は同性愛者ではないものの、ファンへの支持を表明するためなら喜んで自身をゲイと呼ぶと述べた。Ernmanは、モスクワ市政府が「愛」を賞賛することを認めないのは悲しいことだと言明した。ノルウェー代表のアリャクサンドル・ルィバークもまた支持を表明し、ユーロビジョン・ソング・コンテストそのものが、大きなゲイ・パレードであるとした。スペインの放送局テレビシオン・エスパニョーラは、チャンネルTVE2にてを放送していたため、スペインでのユーロビジョン大会の準決勝2を、モスクワでイベントが始まってから66分遅らせて放送し、視聴者の電話投票の代わりに副審をつかって投票を行った。このルール違反のために、スペインは処罰を受けることが決定した(ただし、処罰はこの年のスペインのユーロビジョン大会への参加には影響するものではない)。スペインは既に別の番組との衝突回避のために、スペインが投票する準決勝を1日目から2日目に変更した後のことであり、準決勝1日目に参加していたポルトガルやアンドラは、スペインが1日目で投票していれば文化的近似性のためにスペインからの高得点を期待できたことから、スペインは両国からの批判を受けた。準決勝2日目の翌日、は、もしスペインが2009年大会で優勝すれば、翌年のユーロビジョン大会はスペインで開催されることになるが、が大会を主催したくないがために放送遅延を意図したのではないかと推察した。での声明では、遅延の技術的問題点について指摘した。アルメニアとアゼルバイジャンの間では、準決勝から決勝の間にかけて一連の論争が展開された。準決勝でのアルメニアの演技の前に映し出された導入用の「ポストカード」と呼ばれた短編ビデオクリップで、他の建造物とともに『我らの山』記念碑が映し出された。『我らの山』は、法的にはアゼルバイジャン領となっているナゴルノ・カラバフの首都ハンケンディ / ステパナケルトにある記念碑である。この記念碑はソビエト連邦時代にこの地のアルメニア人の伝統を祝福するために建造されたものであり、アゼルバイジャン領となっているカラバフ地域はアルメニア人からは民族の故地であると主張されている。アゼルバイジャンは欧州放送連合に対して、記念碑はアゼルバイジャン領に存在しており、このビデオ・クリップは受容不可能であると説明した。その結果、決勝ではアルメニアの「ポストカード」からは『我らの山』は取り除かれた。これに対する報復として、決勝の演技が終わった後、アルメニアから送られる得点を発表する場面では、アルメニアのシルショは背面に『我らの山』が写されたクリップボードを手に持ち、これを繰り返し見せるとともに、背後のスクリーンに映されたエレバンの街中の映像にも巨大なモニュメントの画像が映りこんでいた。優勝者のノルウェーは、複数の新記録を生み出した:
出典:wikipedia
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