強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)とは、朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)において、独裁体制を乱す犯罪行為をした者を収容する施設のこと。単なる犯罪者も収容されることが多々あるが、基本的には脱北者や体制批判者等の政治犯を収容している施設について強制収容所ということが多い。日本でいう刑務所や韓国でいう教導所にあたるが、これらの国での犯罪者への処遇とは違い、男女の差が無く非常に過酷な重労働(一日12時間以上という例もある)を課せられたうえ、監視員による正当な理由のない私的制裁(女性受刑者への性的暴行を含む)を受ける。単なる犯罪者とは違い、政治犯に対する処遇には、釈放される機会が与えられている「革命化区域」と、一度入ると二度と外へは出られない「完全統制区域」の二種類があり、政治犯は監視員の裁量でしばしば銃殺される。収容所は以下の種類に分類されている。という所へ送られる。この他にも、など、様々な強制収容所ないしそれに準ずる施設が存在すると見られる。ここでは被収容者のレベルが分けられており、レベルIからIIIまで存在する(Iがもっとも重い)。ただし最も軽いレベルIIIでも、一日数グラムの塩しか配給されず、蛇、イモリ、ネズミ、ミミズ等を捕食することでタンパク質を補給しないと生きていけないとされる。それらの捕獲もままならない冬の時期は、平地作業で地面に埋める死体を餌に獣をおびき寄せ捕食したり、そのまま人肉を食す場合もあると言われる。いずれにせよ、生涯にわたり強制労働を課されることは「なぶり殺し」にされているのと一緒なので、北朝鮮での強制収容所への収容は「死刑よりも重い刑」と言われている。以下、「管理所」について、主に日本において被害者の証言や、実際に北朝鮮に潜入したジャーナリストのレポートなどでいわれている情報を記す。数年の刑期で出所可能な革命化区域と、永久に出所できない完全統制区域に分けられる。ごく稀に完全統制区域から革命化区域へと軽減移住されることがあるが、一日僅かな飼料用トウモロコシと塩水程度の食料しか与えられないため、どちらに収容されても無事に出所できる確率は非常に低い。多くの管理所は北朝鮮の秘密警察である国家安全保衛部(保衛部)の第7局(農場指導局)の管轄にあたるが、保衛部の他の部署や、一般の警察にあたる人民保安省(旧称:社会安全部)の管轄にあたると見られる管理所も存在する。収容者は全体でおよそ20万人から30万人といわれる。その内のいくつかには1959年から行われた祖国帰国事業により日本から北朝鮮へ渡った在日朝鮮人、日本人妻も多く収容されている。北朝鮮の工作機関では、北朝鮮で生きる親族を強制収容所に収容することをちらつかせて在日朝鮮人を脅迫し、本国への献金を強要したり、土台人に仕立て上げている。21世紀の今日にあって、李氏朝鮮のような独裁が続く北朝鮮体制にとっては、在日朝鮮人だった帰国者と日本人妻たちは朝鮮半島にルーツを持ちながらも、自由と民主主義を肌で知っていることから、北朝鮮社会におけるルサンチマン(憎悪)の格好のはけ口となり迫害されているが、中でも強制収容所に送られた帰国者は、特に過酷な処遇を受けていると考えられている。安明哲の証言によれば、強制収容所に収監された日本人妻が「日本のスパイ、植民地支配者」として警棒で撲殺される現場を、自身が目撃したという。収容者の主な罪状は金日成、金正日の政治方針により時代ごとに異なる。1960年代までは金日成の権力掌握過程において粛清された南朝鮮労働党派、延安派、ソ連派、甲山派などのいわゆる分派主義者・宗派主義者、および住民の成分分類作業において索出された反動分子の逮捕・収容が多く、1970年代から1980年代までは後継者問題による派閥抗争や朝鮮人民軍の派閥対立に関連した逮捕・収容(例えば金正日の異母弟である金平一への追従を問われて収容される事例)が多かった。と言っても、粛清対象となった派閥に属する人物と多少の繋がりがあるだけでも収容される場合も少なくなかった。1990年代以降は経済状態と食糧難により国境の豆満江を無断渡航した者、中国の延辺朝鮮族自治州の親類を頼り食料や衣類などを仕入れ、チャンマダンと呼ばれる闇市で商売した者、国家財産を横領した者など経済犯的色彩が強い収容者が主となっている。2000年代以降では、教化所の全収容者数の3分の1以上が韓国映画や韓国ドラマを視聴した為に収監された者であると、韓国の脱北者団体「NK知識人連帯」が伝えている。これらの収容者は多くの場合国家安全保衛部によって秘密裏に拉致・拘禁され、裁判もなく、あるいは形式的な裁判のみで管理所へ移送される。また、人民保安部が管轄する管理所では一般刑事・経済犯も収容されている。一日の労働は約12時間、男女の差なく罪状により果樹園・炭鉱・森林伐採・採石などの重労働が課せられる。ノルマの果たせない者はノルマを果たすまで重い労働を徹夜で行わされたり、その場で銃殺されることもある。また、女性収容者は秘密警察である国家安全保衛部から性的虐待を受けることもしばしばある。そして、発覚した場合、女性収容者は拷問の末に殺されることも多い。なお、保衛部員も収容者と関係を持ったことを理由に懲戒免職され、鉱山などに送られることがある。収容者は男女を問わず、国家保衛部員の怒りに触れると死に至るまでの暴力・拷問を受ける。管理所内部では国家保衛部員の気まぐれによる公開処刑も頻繁に行われている。しかし、処遇に耐えかねた収容者が自殺することは極めて稀である。北朝鮮には、収容者の自殺を防止するための社会的なシステムがある。すなわち、自殺者が発生した場合は、当局から「金日成・正日親子に対する反逆の責任を免れるため、自殺したのである」とみなされて、遺された収容者の家族が連座させられ、公開の場に引き出されて危害を加えられたり、侮辱されることになっている。従兄弟・叔父・叔母までもが連座して収容所に収容されることも珍しくはない。こうすることで、収容者の自殺は抑止されているという。政治犯は、李氏朝鮮の頃と同様に連座制で処分されている。すなわち反動分子を増やさぬためにという理由で基本的に親・子・孫の三代までが収容または中山間地域や炭鉱といった僻地への追放処分となる。収容者は態度によってランク分けされ、「小隊長」や「班長」に任命された収容者は、役得を得て他の収容者の監視や拷問を行うこともあるという。2004年、咸鏡南道耀徳(ヨドク)郡にある第15号管理所の映像がフジテレビにより報道された。2003年頃からの脱北者からの証言によるとコッチェビと呼ばれる浮浪児のみを収容する施設もできていることが確認されている。管理所の革命化区域の収容期間は2年から7年程度。不衛生な環境と著しい栄養失調のため収容中に病死、重労働での事故死というケースが殆どである。現在は食料難から国境の川、豆満江を越え中国へ逃れた人々を逮捕監禁するための教化所が足りなくなっている状態である。教化所は主に窃盗・殺人・売春などの一般犯罪者を収容する刑務所の役割。平均収容期間は3ヶ月から2年だが、15年や20年といった刑を言い渡された者も多い。食料難と重労働、ならびに虐待・人権蹂躙はこちらも同じである。通常妊婦が収容された場合、反動分子の子孫を絶やすという理由で強制堕胎、または出産後に新生児を生きたまま窒息死させたり、殴打を繰り返して殺される。生きたまま犬の餌にされた例もある。しかし、「表彰結婚」という制度が存在し、国家安全保衛部が認めた、いわゆる「模範囚」とされる男女を1~2週間ほど同居させ、その間に生まれた子供は「強制労働の労力」として生きたまま収容するケースがある(申東赫など)。これは、労働功績を残した未婚の男女が年に数回無作為に選ばれ、1~2週間ほど同居させる制度である。生まれた子供は強制労働の労力としかみなされないため、収容所内の学校では、北朝鮮では常識的に教えられる金正日や金日成という存在も教えられず、足し算と引き算、労働に必要な単語しか教育されない。近年はアメリカの人工衛星より撮影された北朝鮮全体の画像と、元受刑者・元警備兵の証言より約20の強制収容所の所在地と名称が確認されたという。他方、アムネスティの調べによれば、少なくとも6ヶ所の政治犯向け強制収容所が稼動し、約20万人の政治犯がいるという。位置は出版物やインターネットを通じて一般に公開されている。現在はおよそ5カ所に縮小、ひとつは一般刑務所として転用されたと見られている。北朝鮮の主な強制収容所の所在地は、人里離れた中山間地域や、山に囲まれた河川の上流部に立地している。都市やその近郊に所在し、高い塀に囲まれた監獄に独房や雑居房が並んでいるという刑務所や強制収容所の一般的なイメージとは異なり、広大な土地を鉄条網と武装した監視員で取り囲み「管理所」と称している。収容所を上空から撮影した衛星写真をみる限り、鉄条網の中では、収容者の暮らす粗末なバラックが複数の集落を構成し、それらが河川や道路に沿って点在する列村を形成しており、彼らが強制労働を通じて生活の糧を得るための粗末な工場や田畑が広がっている。大きな収容所では、広大な中山間地域に多数の集落が連なって約5万人程度の人口があり、炭鉱や鉱山を含んでいる。小さな収容所でも約5千人程度の人口がある。上空から収容所を撮影した衛星写真は、インターネットのgoogleマップに緯度と経度をプロットして確認することもできる。収容所付近には監視員とその家族が居住する集落もあり、監視員の家族が収容者と顔を合わせることもあるのが特徴的である。国家安全保衛部に属していた元監視員の手記によれば、成人である収容者が監視員の家族と路上で鉢合わせした際は腰を深々と折って90度近い角度まで頭を下げ、子供に対して「先生様」と呼んで挨拶することを義務付ける異常な規律が存在する。たとえ監獄のように、高い塀の中に閉じ込められることはなくとも、北朝鮮の収容所では、冬は雪に閉ざされる人里離れた土地柄と、日々の過酷な処遇による体力の衰え、そして極度の心労・精神的苦痛が、収容者の脱走を不可能なものにしている。脱北者によるNGO団体[NO FENCE]の調べによれば、朝鮮有事が勃発した場合、北朝鮮当局は全ての強制収容所を解体して国家による犯罪の証拠を隠滅すると共に、銃殺等の手段を弄して収容者されている政治犯全員の口を封じる準備を整えたとみられる。特に、北朝鮮に帰国事業で渡った特別永住者には、「白丁」や韓国南部の出身者が多いことから「出身成分」が低いと決めつけられており、日本や韓国の手先を意味する「10号対象者」として、収容所の内外を問わず全員が口を封じられるとみられている。実際の例として、ナチスは敗戦の直前に一部の強制収容所を閉鎖し、その際囚人を現地で殺害、もしくは死の行進により死に至らしめている。前述したように北朝鮮の政治犯向け強制収容所には、二つの分類がある。懲役刑でいうところの有期懲役を科せられた人間がここに送られる。といっても、明確な刑期を言い渡されていない者やそもそも裁判を経ずに移送されて来る者も少なくない。収容者は、一日500g内外の雑穀を支給されるだけで、朝早くから夜遅くまで、居住区とは別の場所にある農場や工場で働かされる。監視官による暴行や殴打はしょっちゅうである。有期刑とはいえ、長期囚の中には監視官の殴打で死亡する者もいる。国家安全保衛部が管轄する収容所では第15号管理所(咸鏡南道・耀徳郡)にのみ存在し、従来は前述した日本からの帰国者などが多く収容されていたが、最近では党幹部など成分の良い者またはその子弟で、犯罪者本人だけが「再教育」として収容されることが多い。そのため収容前の人脈や収容所外部にいる家族による賄賂などが収容所の処遇を左右することもある。この区域から釈放された者の中には安赫、姜哲煥など脱北して韓国に亡命する者もおり、現在、強制収容所に関する情報の多くは彼らから提供されるものである。靴や服が二年に一度支給される。また、班長、流動確認員(収容者の移動を確認する)、整備工などの役目を与えられた幹部級収容者は他の収容者に対して暴力を振るったり搾取を行うことがあるという。人民保安部が管轄する収容所では第17/18号管理所(平安南道北倉郡)に存在することが知られており、姜成山元首相の娘婿である康明道、韓国に亡命した人民軍少尉金南俊の兄金東俊などが収容されていた。刑罰に例えるならば、ここは仮釈放の機会がある革命化区域とは違い、仮釈放の機会すらない終身刑に処せられた政治犯たちの収容所である。ここでも、幹部に見初められた役付収容者による暴力・搾取が行われる。支給品が滞る事が多く、その場合は服や靴すら自分たちで作り出さねばならない。収容者の栄養状態は悪く、雑草や鼠を食べる事が日常化している。疾病にかかった収容者は、収容所内にある病院で治療を受けることができるという建前があるが、その実態は国家安全保衛部に所属する医師団の判断で「治験」と称する各種の人体実験を受けるか、あるいは治療もされず病院と称される隔離バラックに押し込まれ死を待つばかりである。死んでも刑墓に埋葬されるわけではなく、田畑の奥深いところに肥料として埋められるか、近くに掘られた穴に適当に埋められたり、収容所の警備用に飼育されている軍用犬の餌にされる始末である。疾病にかかった収容者に対して行われる「治験」は、外科手術の適応外である患者に対して困難な手術を強行したり、動物実験を済ませていない開発中の新薬を使用して治療を行うという事実上の人体実験であり、近年では、北朝鮮の主な輸出品である大麻、ハッシシ、阿片、ヘロイン、覚醒(かくせい)剤等の麻薬の乱用が、人の脳や臓器をいかにして破壊し、人を廃人にしていくかという薬物乱用の過程を調査したり、細菌やウイルスの研究と生体解剖、放射線および放射性物質が人体に与える悪影響を確認する実験が行われているとされる。患者である収容者が死亡した場合は、収容者の遺体の各部位から取り出した組織を標本にして様々な研究が継続される。脱北者団体によれば、医師団は酒や薬物を乱用しながら「治験」にあたっているといわれ、生体解剖による虐殺が繰り返されているという。収容所を取り囲む鉄条網を超えて逃走を図った者は、発見次第射殺される。規則違反に対しては、公開銃殺のほか、監視官の徒手格闘術の訓練台にされる、木に一日中縛り付ける、棍棒で百数十回打たれるといった罰が用意されている。規則違反といってもほとんどが食べてはならぬ時に食べた、運動時間外に運動をした程度のものだが、収容者は銃殺とならずとも、結局は外傷性ショックによって死ぬことになる。現在の“完全統制区域”は、第14号、第16号、第18号、第22号、第25号の5箇所であるとされている。特に、第16号と第25号における処遇は劣悪とされる。やはり、人里離れた中山間地域に鉄条網で囲まれた粗末なバラックが並ぶ集落と田畑、工場があり、革命化区域と同様の形態をとるが、第25号管理所(咸鏡北道清津市)ならびに既に閉鎖された旧第26号管理所(平壌市勝湖区域貨泉洞)は、政治犯本人のみを収容する監獄形態をとり、監視員による拷問や、医師団による「治験」が他の管理所以上の頻度で行われている模様である。また、16号収容所では、金日成・正日父子の世襲制を批判した高官や知識人たちがその地位を追われて収容されるという。この収容所では、1987年頃から90年代にかけて約1万人の政治犯が、吉州郡の山奥にある万塔山での大建設工事に動員されたが、動員された者は全員が文字通り消えてしまった。万塔山の周辺には、豊渓里の地下核実験場など秘密の軍事施設が点在しており、政治犯たちは工事の進捗状況に応じて節目ごとに動員され、新旧交代の際には機密保持のための虐殺が繰り返されたとみられる。ちなみに、韓国に亡命したファン・ジャンヨプ元書記によれば、北朝鮮は1994年に核兵器を保有したとされる(いずれも未確認の情報である)。監視官の不祥事も後を絶たない。糧秣の横流し、収容者の殺害、役付収容者の強姦などさまざまである。収容者と情を通じたのが発覚すれば監視官も職を失うが、それ以外は見て見ぬ振りで全くのお咎めなしである。また、酒・菓子・煙草その他収容所職員のための食品等を生産する工場があるが、そこに配役された収容者は、監視官との情交を条件にして、酒、煙草、燻製肉その他、収容所外でも手に入らないような貴重品を喫食する機会を与えられる。もし、このことが発覚すれば、当該の監視官は懲戒免職のうえ、北朝鮮特有の身分差別制度である「出身成分」が低い人々がいる地域に追放され、情交した収容者は拷問の上で公開銃殺刑となる。米国北朝鮮人権委員会()が公開している報告書に管理所の位置地図が詳細に掲載されている。
出典:wikipedia
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