加久見 左衛門(かぐみ さえもん)は、戦国時代の武将。土佐一条氏の家臣。実名は不明。土佐国幡多郡加久見城主。加久見氏は古くから幡多郡を根拠としていた国人。土佐一条氏の祖・一条教房が幡多荘に下った際、当時の当主・加久見宗孝はこれを迎え入れた。宗孝はその功労によって応仁2年(1468年)12月に一条家家司がしばしば任じられていた土佐守に補任され、近侍していた娘(教房に同行した町顕郷の養女となる)は、教房に愛されて一条房家を生むなど、一条氏傘下の国人領主の中でも特別な地位を占めていたとされる。天正元年(1573年)9月に一条兼定を隠居させ兼定の子・内政を擁立し、実権を握った羽生道成・為松若狭守・安並和泉守ら家老に反感を抱いていた大岐左京進、大塚八木右衛門、江口玄蕃、橋本和泉守らと挙兵、中村を襲撃し家老らを討伐した。しかし、この事が敵対する長宗我部元親の介入を招き、結果的に土佐一条氏の衰亡を早める結果となった。
出典:wikipedia
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