デビッド・シェリー・ダンカン(David Shelley Duncan, 1979年9月29日 - )は、アメリカ合衆国・アリゾナ州出身のプロ野球選手。右投右打。父のデーブ・ダンカンは元捕手のメジャーリーガー(現在はコーチ)、弟もクリス・ダンカンという野球一家。アリゾナ大学時は大学オールアメリカン、PAC-10オールスターに選ばれるなど活躍。のドラフト2巡目(全体の62番目)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受け入団。、AAのトレントン・サンダーでリーグトップの32本塁打・92打点を記録、リーグのオールスターゲームにも出場し、ホームランダービーで優勝している。翌も打率.351、19本塁打と好成績を残す。、AAAスクラントン・ウィルクスバリ・レイルライダースで打率.296・25本塁打・長打率.577(336打席)と好成績を残す。ジェイソン・ジアンビ故障などのチーム事情もあり、シーズン途中でメジャー昇格を果たす。2007年7月20日のタンパベイ・デビルレイズ戦に指名打者としてメジャーデビュー。初安打・初打点を記録すると、翌日の試合では初本塁打、翌々日には2本塁打を放つ。昇格後10試合で5本塁打と、当時通算500号本塁打を前に金縛り状態にあったアレックス・ロドリゲスを尻目にチームを救う活躍をみせた。はレギュラー候補として期待されていたが、3月12日のレイズとのオープン戦で二塁を守る岩村明憲に対して危険なスライディングを行って両軍入り乱れての乱闘となり、3試合の出場停止処分を科された。はインターナショナルリーグのMVPに選ばれるなどAAAでは活躍したが、メジャーでは結果を残せなかった。1月4日、クリーブランド・インディアンスと契約した。開幕をコロンバス・クリッパーズで迎えたが、その後、昇格。インディアンスでは2年連続で二桁本塁打を放っている。8月29日に、DFAになる。1月22日にタンパベイ・レイズとマイナー契約を結んだ。開幕ロースター入りを果たしたが、4月30日にDFAとなった。10月11日にFAとなった。1月21日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスとマイナー契約を結んだが、3月24日に放出され、5月8日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。6月18日に、解雇された。ダッグアウトに戻った際のハイファイブやチェストバンプ(胸を突き合う)といったアクションが熱血的で激しく、笑いの対象にもなっている。そこから付いたニックネームは"Slam"。2007年当時の監督であったジョー・トーリは、『ダンカンがチームメートに出迎えられるだろう時はいつも、(私には危険だから)彼を避けようとしているんだ』と語っている。
出典:wikipedia
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