国頭 光仁(くにとう こうじ、1934年4月3日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(投手)。米子東高校では1年次の1950年夏の甲子園に1年生ながらベンチ入りを果たし、ベスト8進出(この時の監督は岡本利之)。主戦として甲子園を狙った1952年は、県大会、山陰大会共に決勝で境高校の前に敗れた。大阪鉄道管理局を経て、期待の大型投手として阪急ブレーブスに入団。しかし、わずか1勝のみに終わり、2年目は一軍で出番もなく引退、一般企業に就職した。ちなみに背番号18は、翌年から同郷の米田哲也が背負った。
出典:wikipedia
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