新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ(Niigata Albirex Baseball Club)は、新潟県に本拠を置くプロ野球チームである。2007年より独立リーグ・ベースボール・チャレンジ・リーグに加盟している。先行して存在していたJリーグ・アルビレックス新潟と共通する運営母体を持ち、チーム名も同一である。リーグ加盟球団の中で、他の競技スポーツと同じ名称を名乗るチームは、2017年から新規参入予定の滋賀ユナイテッドベースボールクラブのみである。6球団制だった2008年から2014年まではリーグの上信越地区、8球団制となった2015年からは東地区に属する。2シーズン制が導入された2008年以降、2015年度まで連続して地区チャンピオンシップに出場した。これは2014年以前からリーグに加盟する6チームの中では唯一であったが、2016年は出場がならず、記録が途切れた。ホームスタジアムとして10箇所を超える球場を使用している。2004年夏、オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの球団統合計画を端に勃発したプロ野球再編問題の過程において、NSGグループの創始者で当時Jリーグ・アルビレックス新潟の社長を務めていた池田弘が同年10月5日に新潟市で記者会見を行い、池田らを発起人として日本野球機構(以下NPB)に加盟するプロ野球球団の創設を目指す任意団体「新潟に県民球団を創る会」を発足する旨を表明した。構想では新潟県を保護地域に定め、新潟市で同年秋の着工、2008年度中の竣工を目指して整備計画が進められていた新潟県立野球場(仮称)を専用球場として使用するものとし、同球場の竣工に合わせてNPBに加盟申請を行い、2009年シーズンから新規参入する方針を明らかにした。またチーム名も既にサッカー、バスケットボール、チアリーディングチーム等で使用している「アルビレックス」を使用することも決まり、球団の仮称は「新潟アルビレックス」と発表された。球界再編騒動の収束後、新球団計画は「NPB加盟球団の創設」から「独立リーグの創設」へ方針転換され、2006年7月に「北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ」の運営会社が発足。同年8月1日、4個人51法人が出資者となり、新潟県を本拠地とする新球団「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」が設立された。北信越BCリーグには当初4球団が参加した。新潟は地域密着を標榜するリーグ方針に従い、頓所大輔ら地元出身選手を多数獲得。監督には元読売ジャイアンツの後藤孝志を招聘した。北信越BCリーグは2007年4月28日に開幕。新潟はホーム三条市民球場に富山サンダーバーズを迎え、リーグ開幕戦を戦った。初の公式試合は悪天候にもかかわらず4,538人の観衆を集めたが、試合は富山が9対0で勝利した。2008年、新たに2球団が加わったBCリーグは2地区制を導入。新潟は群馬ダイヤモンドペガサス、信濃グランセローズと共に上信越地区の構成球団となった。チームは2008年に新任した芦沢真矢監督の下で前期リーグ初優勝。2011年に橋上秀樹監督の下でリーグチャンピオンシップへ初進出した。橋上は2011年シーズン終了後にコーチとして読売ジャイアンツへ引き抜かれ、同年のNPBドラフト会議では、同じく巨人から雨宮敬が育成5位、渡辺貴洋が育成6位で指名された。同年11月には正田樹が東京ヤクルトスワローズへ移籍。BCリーグを経てのNPB復帰は初めてのことだった。2012年は高津臣吾が選手兼任監督を務め、2年連続で地区優勝。3勝0敗で福井ミラクルエレファンツとのリーグチャンピオンシップも勝利し、BCリーグ初優勝を飾った。チームは続く香川オリーブガイナーズ(四国アイランドリーグplus優勝)とのグランドチャンピオンシップにも3勝0敗で勝利し、初の独立リーグ日本一を達成した。シーズン終了後に高津は現役を引退。同時に監督を辞任し、2013年より内藤尚行が監督に就任した。※2014年のみ全5戦(3勝)制、他は全3戦(2勝)制。選手・スタッフについては新潟アルビレックス・ベースボール・クラブの選手一覧を参照。ハクチョウをモチーフとした「アルファくん」。チーム創設から2年後の2009年4月9日にお披露目が行われた。長岡市出身のデザイナー大塚朗によるもので、名前は「アルビレックス」と、野球で後攻チーム(ホームチーム)が最終回の攻撃をせず勝利したことを示す「x」が、かつて日本で「α」と見誤られていた事に因んでいる。
出典:wikipedia
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